2014年4月27日

ブラジルに鉄ちゃんはいない

軌間 en. guage po. bitola

鉄道ファンをいつから鉄とか鉄ちゃんとか呼ぶようになったのだろう。
〇〇鉄には種類が多い。
http://nanapi.jp/108576/
には36種類があげられている。

ブラジルに鉄ちゃんはいない、と思う。
ブラジルでは大都市のメトロ(metrô 地下鉄)や近郊電車(trem urbano)を除くと、鉄道で移動する機会はほとんどない。
わずかに残っていた旅客路線も、航空機どころかバスより遅いので、近年は景色の良い観光路線しか残っていない。
都市間高速列車建設の熱意もない

だから趣味的研究や撮影・録音・乗車体験の対象にするという、鉄道や列車を愛する文化は程遠い。
メトロは主に都心部を走るので、あまりおかしな事件は起きにくい。
しかし、近郊電車は大都市圏内の都市間を結び、都心と隣の都心の中間部にはファベラ(favela)のような怪しい地域を通ることが多い。
また、中心都市から離れるほど当然地価は安くなるので、必然的に中心都心の住民と比較して所得の低い層の住民が長い通勤時間を強いられることになる。
そのため、近郊電車がストライキや故障のため運行が止まったりすると、腹立ちまぎれに投石したり放火するという、極めて野蛮な方法でしか鉄道を楽しむことができない。
これは鬱憤ばらしに過ぎず、楽しみといえるかは甚だ疑問で、いまさら民度が低いと嘆いても始まらず、ただただ気の毒ではある。

パラナ州の鉄道はマット・グロッソ州よりはマシだが、合格点には程遠い
Ferrovias do PR são melhores que as de MT, mas estão longe do aceitável
http://g1.globo.com/economia/globo-rural/videos/t/edicoes/v/ferrovias-do-pr-sao-melhores-que-as-de-mt-mas-estao-longe-do-aceitavel/3291737/
(余談であるが、ブラジル産の冷凍鶏肉がどんな環境で屠殺・食肉加工・出荷されているか興味のある方もこのリンクの画像(4m43s)を見るとよい)

ブラジルの南部にパラナ(Paraná)州がある。
北はサン・パウロ州、南はサンタ・カタリナ州に接し、東側は大西洋、西側はラ・プラタ川の上流パラナ川をはさんでパラグアイ、アルゼンチンと接する。
そう、イグアスの滝のあるところだ。
州都クリチバ(Curitiba)は、2014年ワールドカップの会場12都市のひとつだ。

パラナ州西部カスカベル(Cascavel=ガラガラヘビ、この毒ヘビの多い土地なのだろうか?)の協同組合Coopavelは日本・中国・アラブ諸国・ヨーロッパへ鶏肉の輸出をしている。
上リンクのビデオ1m30s位に、日本向け包装のアップが映る。
輸出される鶏肉の80%は冷凍コンテナに入れられ、鉄道で運ばれる。
その量は年間34万トンになる。
冷凍コンテナは、マイナス20度の低温を保つことができるが、大西洋に面するパラナグア(Paranaguá)港までの道は遠い。
カスカベルからパラナグアの距離は730km、6日から7日かかる。
730km走るのに7日間?!
1日たった100キロだけ?!

東京から東海道新幹線を経て山陽新幹線に入り、広島県東部の福山までの距離に匹敵するのだが、
http://fukuyama-kanko.com/access/index.html
をみると、日本の新幹線は約3時間40分で走破する。

貨物列車の編成は最大50両、保線が悪いので、車輪が通るたびに線路は沈み込む。
軌間は小さく、1000ミリメートルである。
狭軌のため、連結される車両数は制限され、しかも列車は速度を上げられない。
平均速度は時速25kmを超えることはない。
旅程中2回、駅に停車して、冷凍状態を保つためにコンテナに電源を接続する必要がある。
カスカベルターミナルを出発し、荷積みコンテナが往路目的地パラナグア港ターミナルで荷降ろしされて、空コンテナを貨車に積んだ復路がカスカベルで終わる一サイクルが、平均12日の日程である。

日本の在来線の軌間は狭軌=1067mm、新幹線の軌間は標準軌=1435mmとなっている。
軌間1000ミリメートルってどこのチンチン電車か?と調べてみる。
http://e-tochigi.com/blog/blog.php?key=11584
をみると、日本の路面電車の軌間は狭くても1067mm、標準軌のところもあり、1000mmなどという狭軌はないことがわかった。
路面電車はなかなか侮れない。

近畿日本鉄道の路線、近鉄内部・八王子線(きんてつうつべ・はちおうじせん)は、軌間762mmの特殊狭軌線(ナローゲージ)という。
これはトロッコかと思ってしまうが、極めて特殊な例だろう。
鉄分が多少ある私は見てみたいが、一生訪れる機会はないように思う。

素人考えでも、軌間が大きいほうが当然幅の大きい台車を使用できるから一両の輸送力は大きく、荷物の偏りや横風や路面の傾斜など横揺れの力を受けて脱線する危険が低いと思われる。
反対にそれだけ線路幅が広くなるから、車両そのもののコストと、線路施設のコストは大きくなり、カーブの大きさなど地形的な制約もありそうだ。
大きな輸送力が求められない路線だったら、オーバースペックとなりかねない。

パラナ州の輸送力増強と輸送コスト削減の決めては、新線の建設であるが、パラナ州西部とパナラグア港を結ぶ新線建設コストは60億レアルとされ、その計画実現性は現在のところ全く無い。
日本でもかって軌間統一のため行われた、同じ線路上の軌間拡張工事という手もあるが、路盤工事も必要そうで、工事区間は運行が難しそうだ。

サンパウロへ行くとメトロを使うことはあるが、軌間はとても広い。
資料では、一番よく使う1号線-青線(Linha 1 - azul)は広軌1600mm、新しい4号線-黄線(Linha 4 - amarela)は日本の標準軌1435mmとなっている。

クリチバ-パラナグア間には週末観光列車が運行されていて、一日でパラナグアまで往復している。
昔旅行したのだが、これはなかなかおもしろかった。
ブラジルの観光列車だから、ギター片手に歌いっぱなしのグループがいたり、食堂車ではビールが飛ぶように売れたり、静かな趣きのある旅は全く期待できない、賑やかな旅であったが、景色は良いし峡谷走行のスリルがある。

https://www.google.com.br/search?q=curitiba+paranagu%C3%A1+trem&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=XT9cU67hCsLEsASVsoGgBA&ved=0CDIQsAQ&biw=1100&bih=687
に画像がある。

クリチバで乗車前、また途中駅で停車したら線路を見ることをすすめる。
1000ミリメートルの狭軌を実際に目にすると、谷底へ落ちそうなそのスリルも倍増すること間違いない。

2014年4月19日

招かなくてもお客様

あるガソリンスタンドで給油した時のことだった。
次の張り紙が目についた。

Srs. Clientes
Informamos que não temos caixa eletrônico em nossa loja
Gerência

お客様各位
当店にATMは設置してない旨お知らせいたします。
店長

というのだ。
一見普通のお知らせにみえる。

このスタンドは夜9時に閉店するが、深夜営業をするスタンドもある業態であり、とかく強盗の被害に遭いやすい。
深夜は客も少ないし、対応する夜番のスタンド店員(po. frentista)も一人か二人くらいだ。
そうすると、オートバイ二人乗りや徒歩でピストルを持った強盗が現れて、レジを開けて有り金をさらっていく。
もちろん夜なのでレジに大金はないだろうが、それでも数百レアルくらい持っていかれることもある。

防犯カメラ(実際に犯罪を防ぐことができないので、防犯カメラと言ってよいのだろうか?)に捉えられた犯罪場面がニュースで流されるので、けっこうおなじみのシーンになっている。
こんなものがおなじみになってしまうのは困ったものだ。

それから、ATMである。
ATM爆破の犯罪は沈静化の兆しなく、爆破のニュースを聞かない週はない気がする。
あまりに目に余るので、最近はスーパーマーケット・コンビニなどは客の利便や設置手数料収入を犠牲にして、ATMを返上することが多くなった。
以前はこの店にATMがあったのに今は無く不便になった、という場所はかなり多い。

ATM + ガソリンスタンド = 強盗の格好の稼ぎ場所
というわけで、冒頭のお知らせ張り紙だ。

「お客様各位」というが、常連客ならATMがないことは知っている。
実際、ときどき使うこのスタンドにATMが設置してあったことは、かって一度もなかったはずだ。
通りすがりの客なら大きな張り紙など見なくても、店員に尋ねたり、スタンド敷地の店舗を一目見たらATMがあるがないかなどすぐにわかるはずだ。

ガソリンスタンド経営者にとってこの張り紙を読んでもらいたい対象の人とは、常連でない旅行中の客10%、ATMを爆破しようとしている不届き者90%とみた。
のちクレーマーと変貌しても、一度は代金を支払った人はお客だ。
ATMに惹かれてやって来る招かざる客は、利益の代わりに店舗・商品破壊という大損害をもたらす。

やはりクレーマーより格段にたちが悪い。
でも張り紙が訴えるのは「お客様」宛てなのだ。

2014年4月18日

ガブリエルの心はマコンドで永遠に漂う

昨日2014年4月17日は聖木曜日、イエスと弟子の最後の晩餐の夜だったが、ブラジルの夜のニュースのトップは、ガブリエル・ガルシア・マルケス(Gabriel García Márquez)死去の報であった。

彼の作品で一番読まれたのは、ニュースで言ったように、「百年の孤独(1967)」だろう。
5千万部の超ミリオンセラーだという。
原題はCien Años de Soledad、ブラジルではポルトガル語訳でCem Anos de Solidãoとして出ている。
シエン・アニョス・デ・ソレダというスペイン語の響きは、心ひかれる物語の始まりを予見させる。

百年の孤独は図書館で借りて読んだので、家に本はない。
でも、空想上の土地マコンドのアウレリアノ・ブエンディア大佐という名前は忘れそうにない。

作者本人はインタビューで、「『百年の孤独』はミスティックだがそれだけのものだ、本当に評価されるべきは『コレラの時代の愛』が人間の愛をうたった作品だ」というようなことを述べている。
「コレラの時代の愛(1985)」を書いたころが、彼自身が一番幸せな人生を送っていたと回想している。

「族長の秋」は自分で買った本だが、人に貸して以来戻ってこない。
スペイン語のEl Otoño del Patriarcaは残っている。
原語では難しくて、隣に日本語訳があればそちらを読んでしまうのは仕方ない。

薄く手ごろなスペイン語の短篇集が二つある。
El coronel no tiene quien le escriba 大佐に手紙は来ない
Los Funerales de la Mamá Grande ママ・グランデの葬儀
うちには日本語訳はないし、構造が単純な短編だし、この2冊はなんとか原語で読んだ。

ガルシア・マルケスはコロンビア人であるが、ベネズエラ、キューバ、メキシコなどに移り住んでいる。
この時代のラテン・アメリカの作家(実際は作家だけでないし、この時代に限ったことでもないが)は、自分の生まれた国を身軽に飛び出して、近くや遠くの国に移り、住む国を何回もかえたり、数十年後に祖国へ帰ったりしている。

ラテン・アメリカの国々の不安な政情や政治的迫害のためだったかもしれない、ブラジルは少し異なるが、隣の国も同じ言葉を話しているという移住に有利な言語条件もあるだろう。
ラテン・アメリカに限らず新大陸には、元々国境などなかったし、現在でも国境地帯は陸続きとか密林の奥とか曖昧なところが多い。

しかし、ブラジルでこんなにガルシア・マルケスの人望が高いのは想像以上だった。
記事によるとコロンビア人で初めての、ラテン・アメリカで4人目の、ノーベル文学賞受賞(1982)者である。
言語は多少異なるが、もちろんブラジルもラテン・アメリカの一員であるし、ラテン・アメリカ文学を誇るのは当然か。
ラテン・アメリカ文学=魔術的リアリズム、ポルトガル語ではrealismo fantásticoと一言で片付けがちであるが、日本人から見たラテン・アメリカの「一体どうしてこうなってしまうの?という意味因果不明・摩訶不思議なわけのわからなさ」を共有している風土である。

後年ガルシア・マルケスは認知症を患っていたと記事にある。
彼の心はきっと彼の精神が一人で築き上げたマコンドの地を一人で気ままに遊歩していることだろう。

町民の心、町ごと金で買えるか

どうでもよい妄想話である。

Apenas uma aposta leva o prêmio de R$ 37 milhões da Mega-Sena
http://estadao.br.msn.com/ultimas-noticias/apenas-uma-aposta-leva-o-pr%C3%AAmio-de-rdollar-37-milh%C3%B5es-da-mega-sena

連邦貯蓄銀行が行う公営番号当てくじメガセナ(Mega-Sena)の抽選日は水曜日と土曜日であるが、昨日(2014年4月16日)の第1591回セナ(6数字)当選はただ一人で、賞金額は3千763万レアルだった。

興味深いのはその当選者が出た場所である。
Figueirão, município no Norte de Mato Grosso do Sulと書いてある。
マット・グロッソ・ド・スル州の北部、2005年に隣接する二つの町から分立した、フィゲイロン(大イチジク?)という、もちろん初めて聞く町だ。
人口は2.927人である。

いくら宝くじ屋が口をつぐんだとしても、誰が当たったかすぐバレてしまいそうな小さな町だ。
もう当選者探しが始まって町は大騒ぎになっているのではないか。

こういった状況においては幸運といえるだろうが、たまたま身内が少なく、目立つことが嫌いで控えめな人で、これは将来厄介になりそうだと予測したならば、こっそり町を脱出して誰も知り合いのいない場所に姿をくらますだろう。
当たりくじ券さえ大事に持って行けば、今の家や車なんか(あっても)放っておいて良い。
そんなもの当選金でいくつも買えるのだから。

反対の性格の人だったらどうするか。
うれしいことも悲しいことも黙って隠しておけず、くじの当選金などあぶく銭だと割り切れるような人だったらということだ。

町民はにわかくじ成金を血まなこになって探している。
小さな町のことだ。
ワールドカップも間近になったし、町民を全員招待してブラジル応援をしながら盛大なシュラスコ大会を何回開くとしても、金は余る。

有効利用しろって?有効だろうが無駄だろうが俺の金だ。
誰もかれもが金貸せと迫り、あげくの果て、お前は果報者だ、こんなはした金どうでもいいだろ、と踏み倒されるに決まってる。
面倒だから住民均等頭割りして、町じゅうへばらまいてしまえ。
そんな太っ腹ことをした賞金当選人は、俺がブラジルで最初で最後だ。
37.626.306,90レアル割る2.927人は、一人当たり12.854,90レアルである。

次期市長の座は買えるかもしれない。
人々が忘れっぽくなく、恩知らずでもなければ、だ。

2014年4月14日

我らインターネット・ラジオを救えるか?

かってkikeru radioというサイトがあった。
kikeruツールバーという、インターネットラジオ再生ツールバーアドインもあった。
総称してkikeruプロジェクトというそうだ。

2010年12月に終了したこのサービスはどんなものだったか今調べたら、J-waveのBrandnew J、TBSのOttava、ニッポン放送のSuono Dolce、ラジオNikkei、文化放送の超!A&G、文化放送/NACK5のUNIQue the RADIOなどが参加していた。
デジタルラジオ試験放送開始、つまり世界向けインターネット配信開始当初は、手持ちぶさたな土曜日の午後にUNIQue the RADIOの懐メロ、エスニックやJ-waveのロケットマン・ショーのようなバラエティを聞いていた。

時がたち、放送時間短縮、独自番組制作からラジオサイマル放送への転換、日本国外向け配信の中止と、一抜け二抜けの撤退が始まってから、注目の的はTBSのOttavaとなった。

  • クラシック音楽の24時間週7日放送であること
  • 全世界で聞けるインターネット配信で、PC及びスマートフォン両機種にそれぞれライブ及びオンデマンド両方式で聴取可能なこと

Ottavaのユニークな点はこれに尽きる。

サンパウロに行ったときにFMラジオをスキャンすると、常時クラシック音楽を流しているステーションがあった。
最近はサンパウロに行くこともFMラジオをいじることもないが、今も24時間クラシックを流しているかはわからない。
人生の3分の1は睡眠だというから、一日中掛け放しにしておくにしても1日の放送時間は16時間で事足りる計算になるし、ながら聞きが得意と言ってもいっときに異なる二つの放送をながら聞きできる人などいないだろうから(いたら教えてほしい)、一人で24時間聴取は無理なのだが、なにしろ 24 horas (por dia), 7 dias (por semana), segunda a segunda 「24時間7日間月曜から月曜」といった売り言葉には弱いのが普通の人だ。
24時間聞けなくても単純にすごいと思ってしまう。
店舗などに流すBGM音楽として使っている人にとって、その有用さは言うまでもない。

世界に向けた日本発信であるからには、朝番組が朝聞かれるとは限らない。
現地時間の深夜早朝に放送される番組をライブで毎日聞くのは無理だ。
海外聴取者にとっては、オンデマンド方式は救いである。
ライブで聞き逃した部分も、オンデマンドなら後から簡単に聞ける。
インターネット速度が遅くライブで音が途切れるような条件であっても、オンデマンドでキャッシュが大きければ途切れなく聞くことが可能になる。
二重にも三重にも良いことずくめだ。

そしてあの日、2011年3月11日がきた。
普段なら騒々しいくらいのリクエスト番組も、ナレーションを極小に抑えてはいるが、音楽は途切れなく続いていた。
2,3日後には通常放送に戻っていたと思う。
ニュースならよそでいくらでも流している、いつもの番組で心やすまるクラシック音楽をかけ続けるのがステーションの使命、ときっぱりの主張だった。
その堅い主張は現在まで変わっていない。

Ottavaの番組Con Brioでは、「心をフォルテに」や、「みんなで作る復興コンサート」といった復興支援コーナーが毎日流れている。
第3回復興コンサートは早くもチケット完売して、2014年3月30日に大感動をよぶ成功裏に終了した。
海外にいてOttavaくらいしか日本からの放送を聞いてないと分からないのだが、実は震災関連の情報が毎日流れるというのは稀なことらしい。
Ottavaを聞いていると、日本では誰でも今まで毎日震災復興の心配をしていると思ってしまうのだが、そうではないらしい。
ここにもう一つ震災後に明らかになったOttavaの、ほかに見られない貴重な存在価値がある。

第3回復興コンサートの興奮冷めやらぬ翌々日の4月1日、Ottava 6月30日休止の重要なお知らせがサイトに掲示された。
エイプリルフールでないかと思ったリスナーも多かったようだ。

休止発表から約2週間経ち、右往左往といった当初の反応から抜け出し、なにか形のあるものにしようというリスナーの自発的な動きもすぐに始まっており、まあそれがこのブログの理屈っぽく冗長な駄文を書かせる原動力となっている。

TBSが、リスナーに及ぼすインパクトを和らげようと故意の言い換えを行ったのでないのなら、番組の休止というのは、終了や打ち切りではないのだろう。
少しだが望みがあるのだ。
まさに希望(希な望み)だ。
番組がなくなるのかという単純な喪失感の次に思ったのは、Ottavaがなくなると、来年の復興コンサート2015の中核になるリスナー、つまりコンサートのサポーターの集う場が失われてしまうのではとの心配であった。

ボツになったリクエストに添えた、読まなくても良いメッセージとして送ったのが次の文だった。

(以下は蛇足です)
TBSのデジタルラジオの実用化試験放送の一環としてのOttavaということでしたら、デジタルラジオ放送と同時にインターネット配信終了の運命もあったかもしれず、インターネット放送のみがその後も続けられていたことには、リスナーとしては感謝しなければならないのかもしれません。

Con Brioが「心をフォルテに」と「仙台フィル」の時間で、大震災を決して忘却しないメッセージを毎日送り続けたことは、単に日本語が聞けるインターネット放送に留まらない、制作者とリスナーの、日本人としての思いやりと心意気を感ずる貴重な番組で、海外からは心の拠り所です。
Ottavaがなくなると、来年の復興コンサート2015の中核になる原動力の場が失われてしまうのではと今から心配しています。

楽観的な予想は、インフラを持つ通信会社であるKDDIが、インターネット放送を引き継いで、多少形が変わろうともOttavaが継続することです。
多少悲観的な予想は、KDDIがOttavaを引き継いでも、auの独自コンテンツとなって、日本国内のauユーザでなければ聞けなくなることです。
一番悲観的な予想では、予告通り6月末日にOttavaがなくなってしまうことです。
最近はOttavaの手本となったClassic FMも、英国外からは聴取できなくなっています。

森さんが13回ほど、斎藤さんが50回ほど放送しているうちに新展開があり、Ottavaが所属をかえても続いていくうれしい未来になるよう願っております。
(蛇足おわり)

まあこれが私の願いである。

復興コンサートや復興支援室の主体であるKDDIを例にあげたのだが、別にKDDIでなくてもよい。
オンデマンドが個人的には一番うれしいが、コミュニティFMのサイマル配信の方がシステムが簡単に済みそうに思う。
24時間7日間クラシックというOttava当初からの形からははずれて、Animato, Con brio, Amorosoが分かれていくこともあるだろう。
本家Classic FMに習って、日本国外から聴取不可となることも覚悟しなければならない。

2014年4月20日追加
今日は復活祭である。
上の表現であるが、別に現在の番組ラインにこだわることはないのだ。
少し前まで放送されていた番組、FrescoやModeratoや週末のライブ演奏番組を再興させることも十分ありだ。
2014年4月20日追加部分終了

7年間積み上げたアーカイブや番組運用システムという、TBSの資産はどうなるのだろうか。
番組で時々聞く、「アーカイブにはいった曲」というのは、世界向けインターネット配信の著作権問題をクリアしている、CDなど物理媒体からリッピングした楽曲、と理解している。
アーカイブ作りは一朝一夕の仕事ではないであろう。

インターネット配信であるが、4時間番組のファイルが224MB、1秒あたり15.5キロバイトになるから、同時接続数を1万とするとストリーミングサーバは155メガバイトの送出、通信に必要なプロトコロのヘッダーなどで倍になったとして1秒あたり300メガバイト、一般家庭のパソコンサーバと通信条件からは無理そうだが、あまり大したことでもない感じでもあるが、専門家の目からはどうなのだろうか。
オンデマンドまで対応するとなると同時接続数はライブより少なくても良いだろうがストレージと連携の良いシステムが必要そうだ。

TBSはOttavaを休止する一方、他の組織がOttavaを継続する意志を持っている場合、こういった資産は快く譲渡されるだろうか。
古いアーカイブからVintage Classicsを出してくれたTBSである。
気前の良さをみせてくれると期待する。

現在のところ、(可能性はないと思うが)TBSが一旦下した休止判断を取り消すにしろ、新たな組織が引き継ぐにしろ、「これだけ継続を希望しているリスナーがいる」意思表明を送ることが一番大切であろう。

プレゼンターのひとり林田直樹氏は3月30日の放送分およびFBでご自分の意見を述べておられる。
3月30日放送はオンデマンドで3回位聞いた。
発言に意味深な表現の多い日だった。
番組休止を知りながら未だ公式発表できないもどかしさのためだったのだ。
林田氏の「敗戦処理投手で終わらない過激な放送をめざす」声明は、氏がこの番組の継続を切望していると理解する。

林田氏の発言といえば、忘れられない記憶がある。
OttavaのwebページにOttava Bizという名前だったと思うが、ガジェットがあった。
「耳でクラシック音楽、目で企業情報」とか紹介されていたと思う。
ある日の放送で、林田氏が「Ottava Bizとは実はTBSにとっては大切なものなんです」と力説していたのをかすかな違和感を持って聞いたから覚えているのだ。
そうか、林田さんが言うのなら見てみよっか、と2、3回位開いてみた。
しかし何分にも、企業情報とか株式市場とか縁のない世界で、遠い日本のできごとさ、などと考えて放っておくようになった。
今から思えば、実は林田氏の発言は、当時からTBSはクリック数をしゃにむに求めているという切望なサインだったのだ。

街を歩いていると、ビラ(パンフレット)配りがいる。
ビラの内容が今求めているものであることなど皆無に近い。
どうでも良いビラが多い。

「金(きん)買います」
「審査なしでお金貸します」
「職業訓練コース開催今なら月謝割引」
「補聴器で昔の聴覚を」

こういったビラを目の前に差し出されて、どういった反応を取るのが良いのだろうか。
  • 自分には用がない内容なら、もらっても捨てるかせいぜい資源再生だから、ビラの必要な人に渡るように自分はもらわないほうが良い。
  • 自分がもらってもビラ広告主の目的にはかなわないが、どうせビラなど百人に一人必要な人がいるかどうかだろう、貰ってやれば少なくともビラ配りのノルマ達成には役立ち、彼が多少早く仕事を切り上げる手助けになるだろう。

ウェブページにある広告のリンクを踏むことは、目の前に差し出された用もないビラを受け取るかどうかと同一の判断を求められる。
私の楽観があたってOttava atualが継続することになったとしても、Ottava Nova(イタリア語とポルトガル語の合成のような感じなのだが)に新生しても、いずれにせよ継続の道は無料ではない、多少の手間がかかっても毎日まいにち用もないリンクを踏み続ける必要があるのだろう。

まるで踏み絵だ。