2015年12月31日

ブラジルの年越しそばパン

大晦日に食べるものといえば年越しそばである。
といってもブラジルにいると、本格的なそばを食べることはできない。
今日スーパーマーケットのパン売り場で、いつも何気なく見ているものが目に入った。

pão sovado、読み方はポン・ソヴァードという。
sovar ソヴァルという動詞の過去分詞・形容詞形である。
「ソバったパン」という意味だ。
ということは、こいつは年越しそばの代わりにならないか?

ポルトガル語辞典でsovarを見ると、他動詞[パンなどを]こねる、と書いてある。
ちょっと待った、パンを作るときにはどんなパンでもこねるのではないか?
手ごろで便利なWikipediaをみると、フランスのプロヴァンス風パンのことを意味すると書いてある。
何でもプロヴァンス風パンを作るときには、普通のパンよりしっかりこねるために、この名前が付いている。
本当かどうかすぐに判断付かないが、そういうことか。

うどんはこねるが蕎麦は打つ、といったイメージが頭にあるのだが、本当にそうだろうか。
手打ちうどんというものがあるが、それはおいておく。
蕎麦を作るときは、念を入れてこねるかどうかわからないが、この言い方を真似ると、soba sovada ソバ・ソヴァーダとなるはずだ。

年越しそばはどうして蕎麦なのか、うどんではいけないのか?
誰でも一度は疑問に思う問題を検索してみた。
いろいろあるが、
1. 蕎麦は細長い -> 長寿を祈る
2. 蕎麦はブツブツ切れる -> 一年の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さない
という理由付けがある。
1と2がクロスしてしまったらどうするのか、命がブツブツ切れて、苦労や借金が長続きするぞ、と言いたくなるがまあ良い。

1に関して言えば、うどんも細長いぞ、と反論できるが、2については、うどんには当てはまらない。
なるほど、だから年越し蕎麦なのか。
と思ったら、年越し蕎麦の次に出てきたのが、「年明けうどん」である。
さぬきうどん振興協議会が提唱しているというから、節分の恵方巻きと同じ匂いがする。

google.com.brでpão sovadoを検索すると、すぐに写真が出てくるのでどんなパンかわかる。
googleでは味までわからないから、一言説明すると、割と緻密で少し甘い味のついたパンである。
全然年越しそばと似通ったところはない。
ブラジルの年越しそばパンは、絵に描いた餅であった。
そういうものがあるのかいと思ってこの駄文を読んでくれた方、時間を無駄にしてごめんなさい。

2015年12月10日

踊れ、喜べ、幸いなる放校よ

jubileu 男性名詞 1.[カトリック]全贖宥、聖年、大赦の年 2.[ユダヤ教]50年節、ヨベルの年 3.金婚式、在職50年記念
jubilar 他動詞 1.喜ばせる、歓喜させる 2.教員を恩給付きで退職させる 自動詞 大喜びする

misericórdia 女性名詞 1.慈悲、憐憫、同情、仁慈 2.救貧院

2015年12月8日、フランシスコ・ローマ教皇はJubileu Extraordinário da Misericórdiaを宣言した。
そして普段は開かずの間となっている?Basílica de São Pedro、「聖ペテロ大聖堂」の扉を開けて人々を招き入れる映像がニュースで流れた。

このポルトガル語の'Jubileu'ジュビレウという単語が気になって書いているわけだ。
冒頭に書いたポルトガル語の日本語訳は、白水社の「現代ポルトガル語辞典」から引用した。

日本語訳を見ると「50年周期」を連想させるのだが、実際はどうかと調べてみると、25年周期で開かれていて、これまで最後に持たれたのが西暦2000年の"O Grande Jubileu" 「大聖年」であった。
第二次世界大戦後5年の1950年は"O Jubileu do grande retorno e do grande perdão"「大いなる帰還と大いなる赦しの聖年」と、世情を反映したテーマとなっている。

2015年のはextraordinárioというから、臨時・特別の設定となっている。
最近の憎悪に満ちた国際情勢を危惧した教皇あるいはカトリック総本部の意向なのだろう。
今回の"Jubileu Extraordinário da Misericórdia" 「いつくしみの特別聖年(注:カトリック教会のサイトでの正式な呼び方に修正した)」の期間は、2015年12月8日から、2016年11月20日までとなっている。
http://w2.vatican.va/content/francesco/pt/apost_letters/documents/papa-francesco_bolla_20150411_misericordiae-vultus.html
がバチカンの正式発表であるが、急にあたふた決めたわけでなく、2015年復活祭の次の日曜日前日である4月11日の日付となっている。

モーツァルトの曲に、最後の楽章でアレルヤを連唱する「なんとかジュビラーテ」というのがあったな、ときどきOttavaで聞いたことがあるぞ、と調べたことがあった。
思い出してみる。

《エクスルターテ・ユビラーテ》(ラテン語:Exsultate, jubilate)KV.165 (158a) は、モーツァルトが1773年に作曲したモテット。日本では、第1楽章の歌詞から『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』などの訳題が使われることもある(ja.wikipedia.orgから)。

辞書にある訳語もモーツァルトの曲も、意味は「嬉しい、喜ばしい」こと、陽性で肯定的な意味しかないのである。
磐田にはその名もJúbilo(歓喜)という名のフットボールチームがある。
問題なのはここからだ。

息子がブラジルの大学に入学した時に持ってきたガイダンスの中に、今手元にないから詳しいニュアンスはわからないのだが、一応ここでポルトガル語で'jubilação'といっておくできごとについての説明があった。
読んでみるとこれは退学とか放校についての条文ではないか。
「9年経ったらジュビラード」とか書いてある。
日本語に訳すと宣伝文句みたいで語呂は良いが、内容は大変だぞ。

オンライン辞書で調べると次の意味が書いてある。
fazer perder ou perder o direito à matrícula em curso, ger. universitário, devido a excesso de faltas, sucessivas reprovações etc.
大学生用語(俗語)で、出席不足・単位不足のために学籍を抹消する・失う、という意味だ。
「教員を恩給付きで退職させる」という本来の意味から、「学生を単位不足で退学させる」と意味派生したのだろうか?
思いっきり皮肉が効きすぎているのではないか?

2015年10月19日

2015/16年のブラジル夏時間

2015年の夏時間入りであるが、もう毎年のことだから慣れているかと思ったがそうでもなかった。
目的もなくだらだらとパソコンの前に座っていたのであるが、ふと画面の時計を見ると朝2時半になっていて、あれ、いつの間にかすごく夜更かしをしてしまった、と不審に思ったが、すぐに夏時間入りしたことを思い出した。

夏時間入りする州は、2014/15年と同じで、10州と連邦区、
南部3州 = リオ・グランデ・ド・スル(Rio Grande do Sul)、サンタ・カタリーナ(Santa Catarina)、パラナ(Paraná)の3州
南東部4州 = サン・パウロ(São Paulo)、リオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)、エスピリト・サント(Espírito Santo)、ミナス・ジェライス(Minas Gerais)
中西部3州と連邦区 = マット・グロッソ・ド・スル(Mato Grosso do Sul)、マット・グロッソ(Mato Grosso)、ゴイアス(Goiás)、連邦区(Distrito Federal)
である。

2015/16年の夏時間が終了するのは2016年2月の第3日曜日つまり2月21日であり、夏時間日数は126日である。
夏時間日数は119日(17週間)の年と126日(18週間)の年があるが、今回は長い方になった。

2015年10月18日は10月の第3日曜日、つまりブラジル夏時間の開始日であった。
その瞬間は見ていなくて、昨年までも一度もその瞬間を待って何が起きるか見ようとなど考えたこともなかったのであるが、10月17日土曜日23時59分59秒から10月18日日曜日0時0分0秒になった瞬間、0時がするりと回って1時になるのか、23時59分59秒の次は既に1時0分0秒と表示されるのかは今となっては確認のしようがない。
去年までは既に眠っているか他のことをしていても、この時間にパソコンなどいじっていたことはなかったのだろう。

一旦寝てから朝起きて、パソコンとスマホの、勝手にタイムサーバーと同期して時間合わせしてくれる装置を除き、アナログの壁時計や目覚まし時計、コードレスフォンやデジタルカメラやスマートでない携帯などの時間合わせをしながら考えた。
日本標準時は世界協定時の9時間先つまり UTC+9、ブラジリア、サンパウロ、リオデジャネイロを含むブラジル南東部は UTC-3、つまり時差はちょうど9-(-3)=12時間、文字通り地球の裏側であり、こちらの夜8時はあちらの朝8時と時刻の換算が非常にわかりやすい。
夏時間になってしまうと世界協定時の2時間遅れつまり UTC-2になるので時差は9-(-2)=11時間、わざわざ11を足したり引いたりと面倒なことはしないので、「えーと、いま夜8時だけど夏時間になった時に時計を1時間進めたのだから夏時間になる前は7時だった、だからいま日本は朝7時だ」と、時刻換算が少し面倒になる。

テレビでは医者が、普通の人はこれまでの時間から夏時間に慣れるまで2週間位かかるというので、それまでは、
「まだ暗い(明るい)のにもうこんな時間になってるの?」と、
「日本はまだ☓☓時なの?」
状態が続くものと思われる。

それからは楽しい、というか明るい時間が1時間伸びたような錯覚があって、錯覚というのはそれだけ夜明けも遅くなるのだから実際は昼時間の長さには何の影響もないのであるが、とにかくうきうきする夏、夏時間を楽しむことにしよう。

2015年8月5日

4xそうめん=2xひやむぎ=1xうどん

クラシック音楽のインターネットラジオ、オッターヴァ(Ottava)では、プレゼンターが音楽関連商品にとどまらない、いろいろな商品を紹介するコーナーがある。

ときには怪しいものが紛れ込む。
2015年7月31日森雄一さん推薦の「忍者パーカー」、たしかに紫外線や蚊の防御に優れていそうだが、これを着て道を歩くと、通報されたり職務質問されそうな気がするのだが、大丈夫だろうか。

人によっては危ないものもある。
2015年8月5日はゲレン大嶋さんが「カシャーサ51 40% 700ml」(51=シンクエンタ・イ・ウン)を紹介している。
カシャサは、ピンガともいうが、サトウキビからつくる蒸留酒、ブラジルの大衆酒である。
カシャサを飲むと自分の気分は高揚しても、妻の機嫌が悪くなる。
妻の頭のなかでは、これは安い悪酒という認識であり、飲み過ぎて体をこわして早死した人が無数にいるんだそうで、ワインやビールは良い酒、ピンガは問題外なのだ。

2015年7月30日もおかしい。
怪しいという意味でも危ないという意味でもない、可笑しいのだ。

「ああっ、また今日も茹でている(笑)」
自虐的な響きのする発言、やってから自己嫌悪に陥る様相、逃れたいのに逃れられないこの物とは何か。
「播州手延そうめん 揖保乃糸 赤帯」とある。

「夏になると、週末は素麺、素麺、蕎麦、素麺、素麺、蕎麦、とレッドソックスの上原並みのローテーション」というところもおもしろい。
野球は見ないので(見たくても見られないが)、高校野球か上原か?というハードなローテーションと素麺蕎麦ローテーションと、どちらが体に良くないかは何とも言えない。
米国だったら、ピザ、ピザ、ハンバーガー、ピザ、ピザ、ハンバーガーとなるのだろう。
同じスポーツでも、重鈍一直線ではないか(これがわかる人は相当古い年代)。
いずれにせよ日本の夏が短いから許せる状況と思う。

「機械製麺の場合、直径1.3ミリメートル未満が”そうめん”、1.3ミリメートル以上1.7ミリメートル未満が”冷や麦”」と書いてあるのだが、1.7ミリメートル以上の麺は一体何と呼ぶのか?が書いてないぞと、推薦の齊藤茂さんに文句を言いたい。

全国乾麺協同組合連合会のサイト
http://www.kanmen.com/topic/04_chigai.html
を調べた。

乾めんの太さの定義(基準)
うどん長径1.7mm以上
きしめん幅4.5mm以上 厚さ2.0mm未満
ひやむぎ長径1.3mm以上1.7mm未満
そうめん長径1.3mm未満
* 手延べ干しめんのうち、長径1.7mm未満は「手延べひやむぎ」 又は 「手延べそうめん」。
* そばには、太さの定義(基準)はない。

手延べ干しめん品質表示基準では、「(乾めん類の定義に同じ)かつ、小引き工程または門干し工程のいずれかを手作業により行ったものとする。」

「長径」というからには、麺の断面は真円でなく楕円形を想定しているのだろう。
きしめんは特殊形態だ。

すると乾めん不等式は、
うどん>ひやむぎ>そうめん
となるのか。

勉強になったので、さらに数学的考察を進める。

ここに長径2ミリメートル短径1.6ミリメートルのうどんがある。
急にひやむぎが食いたくなった。
うどんを二分割すると、長径1.6ミリメートル短径1ミリメートルになるから冷麦になって問題解決。
しかし気が変わって素麺を食いたい。
うどんを2分の1にした冷麦をさらに二分割すると長径1ミリメートル短径0.8ミリメートルで、これは素麺になる。

そこで次の乾めん方程式が成り立つのではないか。
4 x そうめん = 2 x ひやむぎ = 1 x うどん
「上の乾めん方程式の成り立つうどんの条件を求めよ」とか入試の問題になるのではないか。

昔のBASICで書いた「goto なんとか」文で前後に絡み合うプログラムをスパゲッティコードと呼んでいたと思うのだが、頭のなかが茹で過ぎた麺状態になってきた。
危ないのでここで止める。

2015年8月1日

ジョギングは朝と夜どちらが良いか

南半球のこの季節、夕方というより夜の領分の午後8時になって公園にジョギングに出かけると、今日はブルームーンの満月がもうかなりの高さで輝く。
テレビのニュースやポータルサイトでも今日は Lua azul 青くなくても青い月、と盛んに説明している。
ブルームーン自体、英語の慣用句で珍しいできごとという意味らしいから、ポルトガル語にもともと存在しない表現であり、最近使うようになった新語であるようだ。

満月の明かりはそれだけでもかなり明るいので、今日ばかりは公園内の街路灯が全部消えていたとしても、歩いたり走ったりするのに支障はないと思う。
ブルームーンを見ると幸せになるというのなら、軽く1時間ばかり満月の光だけを浴びて歩いたらどれだけ幸福感が増すことだろうか。
今日はこの辺りが停電になっても構わない、いや積極的に停電してくれ、と不謹慎にも思うのだ。

しかし夜のジョギングはどうして朝より辛いのだろうか。
ブラジルの冬にあたるこの時期のこの時間、公園内の電光温度計は20度とか21度を示している。
暑すぎも寒すぎもしない、涼しい快適な温度だから、温度はあまり関係なさそうだ。
朝のジョギングとどこが違うのか?
ブルームーンの光を浴び、のたのたジョギングしながら考えた。

朝ジョギングに出かけると言っても、夜明け前の真っ暗な時間ではない。
日の出のせいぜい15分前に暗い家を出ると、外は明るさを増す最中だ。
日の出前後の新鮮な光のもとで何を見ながら走るか。

いつも出会う人を認めて Bom dia を言うために、向こうからやってくる人を観察しなければならない。
朝ウォーキング・ジョギングの習慣が長かったからという理由もあるが、夜より人出の少ない朝の時間帯の人々はより馴染みがある。
服装にこだわらない傾向が高い。
平均年齢が高い。
いつも同じ人が同じ時間帯に見られる習慣性が高い。

通りすぎてから後ろ姿もずっと見たくなるような女性がいる。
朝も夜もたくさんいる。
変なおじさんと思われると困るので見たくても振り向かないが、周りに人がいないようだったら振り返って見ることもある。
腰から脚に続く美しい曲線を見て、素直にうれしくなる。
夜は週末とか遅い時間でない限り、朝より人出が多いので恥ずかしい真似はできない。
しかも夜は二人で手をつないてウォーキングするようなラブラブ度が高い。
こっちは一人だ。

人を観察しない時には、刻々と明るさを増す空の色とか雲の形を観察する。
雲を見るのは飽きないが、すっかり朝となり太陽も高く上がった、雲ひとつない何の変哲もない空でも退屈することはない。
走ってゆくにつれて公園の樹木の葉が青い空を隠しながら刻々と形を変えるのを飽きずに見ながら走る。
視線は地平線よりはるか高く上がる。

これが夜のジョギングには決定的に欠けているのだ。
空の色、雲の形、樹の葉の影など、地平線より高いところにある美しいものが全く見えないのだ。
本質的にランナーでない私はフォームを気にしながら禁欲的に走ることなどできない。
いつもキョロキョロ見回しながら走っているのだ。

夜はどうだ。
地平線より上に見るものはない。
味気のない電灯が連なるところなど、電灯の光が眩しいほど強いのに、その周りには光を受けるものがないので、数メートル先で暗く虚しく消えていく。
他に見るものもなく、夜は足元に気を付けなければと、視線は足元に落ちる。
顎が下がり、肩が縮こまり、猫背で走る私が見える。
「フォームはどうした」と励ましながら、その瞬間には腕を後ろに引き頭を引き上げるのだが、地平線より高いところに何も見るものがないので、すぐにフォームのことなど忘れてまた縮こまってしまう。

まあこうして夜のジョギングがなぜ朝より辛いか、理由がわかったのだから、せめてジョギングを1日おきくらいまで頻度を増やして体と頭を慣らせば解決も遠くないと期待している。
次の2018年のブルームーンを待つまでもないだろう。

2015年7月27日

ブラジルのブラックバード

http://www.jjazz.net/
を聞いていたら、Sara Gazarek / Josh Nelson の Blackbird / Bye Bye Blackbird という曲がかかった。
最初はビートルズのブラックバードから始まり、途中バイバイブラックバードに変わって、最後またビートルズのブラックバードに戻る構成である。

バイバイブラックバードは、マイルス・デイビスがミュートトランペットで端正にテーマを吹いてから、クインテットの面々の奔放な展開で、ジャズを聴き始めた頃から、誰もが虜にされそうなすばらしい演奏であると確信した曲である。
Wikipediaに"Bye, Bye, Blackbird" is a song published in 1926 by the American composer Ray Henderson and lyricist Mort Dixon.
と書いてあるから、米国の曲である。

Wikipediaには次の気になる記述がある。
「英語でこの鳥のことを Blackbird と呼ぶが、米語で Blackbird といえばムクドリモドキのことになってしまうので注意。
ビートルズの楽曲「Blackbird」や、マザー・グースの6ペンスの唄に歌われている「blackbirds」は、この(前者の)鳥のこと。」

ということは、ビートルズのブラックバードとバイバイブラックバードは似ているが別の鳥である可能性が高いということだ。
英語では、ビートルズブラックバードの方、つまりユーラシアのを common blackbird と言い、バイバイブラックバードの方、つまりアメリカのを new world blackbird と呼んで区別している。

コモンブラックバードの和名がクロウタドリ、漢字で書けば黒歌鳥と、誰が見ても「この鳥の鳴き声は美しい」と予想するだろうに、ニューワールドブラックバードの和名がムクドリモドキ、モドキというのは本物でない似た物ということだから、偽物呼ばわりではないにしろ胡散臭い名前である。
コモンブラックバードとニューワールドブラックバードは、別々の土地で別々に進化してきた別の科の鳥であり、どちらが偉いとかどちらが起源とかいう問題ではないのだが、和名から受ける印象には天と地の差がある。
バイバイムクドリモドキとはひどい、鳥に罪はない、かわいそうだ。

実はブラジルにもブラックバードはいる。
ポルトガル語で pássaro-preto 文字通り黒い鳥という意味である。
野生のが人里にかなりたくさんいる。
近所の公園のそばの電線に100羽位が賑やかに群れているのをときどき見る。
ブラジルのブラックバードも鳴き声がきれいだ。
ブラジルの自然の鳥だからその飼育には多分許可が必要なのだろうが、美しい声でしかも規則性のない複雑なさえずりをするので、この鳥を飼っている人は多い。

ここで問題だ。
バイバイブラックバードつまりニューワールドブラックバードとパサロ・プレトは同じか異なるか?
ブラジルも南アメリカも米国も北アメリカもすべて新世界である。

Common blackbird の項をみると種(しゅ)は一つで写真は嘴の黄色い鳥である。
New world blackbird の項には26の種があり、写真の2種は羽や体の一部が赤かったり黄色だったりする。

ブラジルのパサロ・プレトは全身、つまり羽だけでなく嘴も脚もカラスのように真っ黒である。
気の毒な名を持つムクドリモドキ科の項に、わがブラジルのパサロ・プレトの和名が載っていた。
ミゾハシクロムクドリモドキという大層な和名が付いている。
黒い下嘴に溝がついているところからきた名前のようである。
学名は Gnorimopsar chopi となっているが、ショパン Chopin とは関係ないと思う。

ここでまとめておく。
ビートルズのブラックバード = en. Common blackbird = クロウタドリ(黒歌鳥)
バイバイブラックバード = en. New world blackbird = ムクドリモドキ(椋鳥擬)どの種かは特定せず
ブラジルのパサロ・プレト = po. pássaro-preto = ミゾハシクロムクドリモドキ(溝嘴黒椋鳥擬)

2015年7月13日

みんな大好きドローン

公園の駐車場でドローンを上げている人がいた。
夕暮れから夜に入る時間だったので、飛行機のように両翼に、と言ってもドローンは4つローターがあるので、どこが両端かは判然としないのだが、緑色と赤色の照明を点灯して空中でホバリングしていた。

ごく最近見たドローン関連の記事見出しを2つ載せる。

スイス国営郵便、ドローン郵便配達の飛行試験を開始
http://japan.cnet.com/news/service/35067164/?tag=nl

Líder do grupo Estado Islâmico é morto em ataque de drone americano
イスラム国のリーダー、米国のドローン攻撃で死亡
http://www.msn.com/pt-br/noticias/mundo/l%C3%ADder-do-grupo-estado-isl%C3%A2mico-%C3%A9-morto-em-ataque-de-drone-americano/ar-AAcRzdw?ocid=mailsignoutmd

災害救助にも戦争にも使える道具なのだ。

ドローンというとラジコンヘリコプターと似ているがどこか違う。
ラジコンヘリ=メカ好き、操縦好きの立派なホビー、金がかかりそう、
ドローン=胡散臭いオタクが何か良からぬことを企んでいる、
全く偏見だろうがそんな気がするのだ。
ドローンの正当な愛好者よ、ごめんなさい。

広い公共の場所で飛んでいるのなら良いのだが、住宅地の上空をこういったものがたくさん飛び交うようになったらどうなるのだろうか。
不謹慎で人間性を疑われるのを承知で言うが、盗撮、つまり覗き撮影に最適なのではないかと思ったのが、ドローンが身近に飛んでいるのを見た第一印象である。
多分私の手元にドローンがあったならばこれをしてみたい、という願望かもしれない。
何のことはない、胡散臭いオタクとは私のことだったのか。

ブラジルの住宅地は一般的には日本よりは広く、防犯のためだろうか、塀がかなり高い。
塀の上に鉄条網とか電気ショックワイヤーなど張ってあるのは、醜いブラジルの風景である。
そして夏が長いブラジルである。
高級住宅街はもちろん、かなり大衆的な住宅地でも、高めの塀に囲まれた敷地にプール付きの庭がよく見られる。

わが家の庭を覗き込める隣家はない。
塀の上に見えるのは隣の軒と隣の敷地のマンゴーの木だけである。
屋根の上で工事などしていなければ、覗きこむのは翼のある鳥と軒を歩く猫だけである。
話をややこしくしないために、飛行機やはるか高高度の人工衛星などは一応除いておく。

ブールがなくても、庭にチェアをおいたりタオルを敷いた上で日光浴などする人は多いだろう。
ただでさえ肉体のフォームを非常に気にするブラジル女性である。
他人の視線が全くない、完全なプライバシーが保てる、ということで、女性だけでないだろうがビキニラインをつけたくない人などフィオ・デンタルどころか全裸で寝そべっているかもしれない。
プール完備必須の高級住宅街で夏の暑い季節に、自動撮影カメラを搭載したドローンを100軒くらいの上空を飛ばせば、1軒くらいそういった場面を撮影できるのではないか。

覗き撮影が趣味の一つなら、射撃が趣味だという人もいるだろう。
合法銃器も非合法銃器もあふれているブラジルのことだ。
庭に歓迎しない盗撮物体が現れたらためらいもなく撃ち落としてやるぞと、いつ現るとも知らぬドローンを待ち受けて銃に弾を込めて手ぐすね引いて息巻くガンマニアもいるのではないか。
リオデジャネイロのファベラ(スラム街)で警察と犯罪組織の銃撃戦があったとき、上空を飛ぶ警察のヘリコプターを地上から狙撃する事件が起きたから、そのミニチュア版だ。
先住民(インジオ)だったら弓矢で射落とすだろう。
銃や弓矢がなくても、不埒な侵入飛行物体にパチンコやダーツや投網や投槍や石ころや水鉄砲など何でも手元のものを投げつけたくなるかもしれない。
手頃な標的、といった感じなのだ。

"殺人凧 vs ドローン" 安っぽい映画のタイトルのようであるが、ブラジルの冬の風物詩というか、困りものの、ガラス粉を糸に着けて武装した凧とドローンの手に汗握る空中戦もきっと楽しめることだろう。

塀の中にいる連中が禁止されている物を持ち込むのに伝書鳩とかとかいろいろ悪知恵を働かせるのだが、ドローンは便利な運び屋になりそうである。
ドローンを使って爆薬を運ぶ銀行強盗なんかも誰かが考えつくかもしれない。

いろいろな趣味や犯罪の対象になりそうなブラジルのドローンである。

2015年7月7日

ギリシャ人の巨大な贈り物

今ギリシャが大変である。

威勢よく OXI これはどうしても 0x1 に見えてしまうので、ゼロかける1はゼロでないか、それとも酸素(オキシ)なのか、と言いたくなるのだが、ノーと叫んで大丈夫なのだろうか。
かの国の人々は将来のことをあれこれ心配しないのだろうか。
極めて楽天的なのか、行き当たりばったりなのか。

かなりブラジル人の性格と似ているような気がするのだが、ブラジルが今のギリシャのような境遇に落ちて同様の国民投票があったら、ブラジルも反対が賛成を圧倒するのだろうか。
それともよほど今まで緊縮に痛めつけられて、もう耐えられなくなった沈痛の叫びなのか。
お祭り騒ぎのようであり、とてもそうとは見えないが。

ポルトガル語でギリシャ国は Grécia、形容詞ギリシャの、名詞ギリシャ人、ギリシャ語は grego である。

なんかとりとめのない話をしていて、「それはギリシャ語か」と言われたら、意味がわからないと言われるのと同じだ。
意味がわからないと言いたいのなら、ロシア語でも中国語でも、もちろん日本語でも良いのだが、なぜかいつもギリシャ語に例えられるのだ。

「ギリシャ人のプレゼント」という表現があることはこのブログに書いたことがある、
ギリシャ人のプレゼントというと、トロイの木馬を指すのだろう。
何でも、もらって嬉しくないプレゼントのことらしい。

「ギリシャ風キス」という奇妙なフレーズがある。
アヌスへのキスという性愛のバリエーションを意味する。

ギリシャのつく成句はどうも普通でないものが多いようだ。
そしてギリシャは今、とてつもなく巨大なプレゼントを抱えてやって来たところだ。

2015年6月6日

ブラジル・イングレスは三つの敵

イングレスと聞いて何を想像するか。
日本でどれだけ流行しているのかわからないが、知っている人は、全地球をフィールドに見たてた仮想現実?現実仮想?ゲームを思い浮かべることと思う。

ポルトガル語で'inglês'というと、英語でEnglish、つまり"英国人"とか"英語"とかの名詞や、"英国の"などの形容詞になる。
ゲームの方は'Ingress'と綴るので、カタカナで書くとどちらも「イングレス」となる。
カタカナで書くと同じでも、発音は異なる。
日本ネイティブ、いやこんな言い方は嫌らしいから、「日本育ち」の人にとってなかなか苦手な'l'と'r'の違いがある。
英語耳のある息子と話をするときは、発音に注意しなければならない。

ブラジルでイングレス(ゲームの方)をする人なんかいるのか、と思っていたのだが、何回か付き合って徒歩や車で回ってみた。
これがなかなか面白いのだ。

近所にあるポータルは警察署と2つの教会である。
2キロ近く歩くと市役所前のオブジェ、スーパーCarrefourの標柱、隣接するショッピングセンターなどにポータルがみられる。

やはり学生は新しい物好きなのだろう、徒歩で通う大学キャンパス内はポータルの密度が高いのだが、息子が言うには、キャンパス内のポータルは激戦地であって、最近始めたばかりの彼のレベルでは歯が立たないという。
息子は緑組だが、キャンパス内は青組が優勢という。

しかし多少心配があるのだ。

ブラジルは交通マナーが荒っぽい。
もちろんところによっては、取り締まりの成果なのか、歩行者が待っていると車は止まって横断するのを待つという都市もあるのだが、歩行者優先というルールは基本的にないと言って良い。
スマホに気を取られてふらふらと車道へはみ出したりしても、車は必ず止まってくれて、せいぜい罵声を浴びせられる、のならばまだいい。
当て逃げや轢き逃げする奴も少なくないから、怪我損で目も当てられない。
普通の人ならそんなところでスマホなどいじる気になどならないだろう。

車の通行が少ない場所では、気が緩んで歩きスマホなどするかもしれない。
四輪車は重いけれど二輪車だったらぶつかったら相手も転倒するし、大したことないなどと軽く考える人がいるかもしれない。
その考えは甘い。
強盗やひったくりがある。
スマホでなく普通の携帯であっても、あまり通話やメッセージなどに気を取られてしまうと、怪しい人影がそっと近づいても気付かないで金目の物を奪われる危険がある。
二輪車の二人乗りはひったくり強盗の愛用の乗物だ。
そんな場所では普通の神経の人だったらスマホや携帯を取り出すのをためらうだろう。

イングレスというのはそんな懸念を押しやるような面白さがあるので、トキソプラズマの力に頼らなくても、危なげな場所でもスマホを取り出してポータルを我がものとするために何分か熱中することになってしまうのではないか。

住めばどこも都、住民になってしまえば近所は皆友達、大したことないのだろうが、外から見ると怖いのがファベラ(favela スラム街)である。
ファベラの中や周辺にもポータルがあるのだろうか。
ハックも命がけで値千金、千倍といかなくても2、3倍位のポイントが付いて良さそうである。

ファベラでも安全にイングレスをやれる方法はないのだろうかと、ここから妄想モードに入る。
実はイングレスに付属している物語を見ると、不法薬物とそれを密売する組織の抗争に例えられる点が多い。

ゲームで拾い集めるXMはエキゾチック・マターと呼ばれるが、これは人間の心身に啓発的な効果を及ぼす謎の物質と説明されている。
本当に啓発されるかどうかは知らないが、身体に効果を与えて、臨界量を超えるXMは影の存在の影響を受けて侵略される(日本語Wikipedia)ことなど、薬物依存や中毒そのものだ。
ポータルをリンクさせてコントロールフィールドを作り、その範囲内にある地域に住む人々を支配下に置く、というところは対立密売組織の抗争に当てはめることができる。

だから、対立組織の縄張り争いで発砲と流血が絶えない地域では、双方が銃器を収めて、販売エリア、まあ縄張りとも言うが、いっそのことイングレスで決めてしまったらどうか。

麻薬類の販売ポイントはポルトガル語で"boca de fumo"、直訳で「煙口」と言うのだが、これをポータルにする。
ポータルを所有している組がそのポイントで販売を行い、ポータル同士を結ぶエリアを得た組がそのエリアの支配権を得て、エリアに住む客、というかクスリを買いたい常用者に薬物を売ることができる、と決めるのだ。
薬物を欲しがる客はファベラ内にとどまらないから、ファベラ外の一般の住民や観光客も交えて仲良くイングレスをプレーして、商圏拡大を競い合うのだ。

現実に戻るが、きのうのテレビのニュースで、学校の周辺で児童や生徒たちが携帯を脅し取られる事件が多いという記事を見た。
初耳だったのは、最高価格帯のモデル(topo da linha)でないと、これは要らない、取っとけ、と返してくれると言っていたが、全部の強盗がそうなのかは分からない。
iPhoneとかGalaxyの一番高いのとかでなく、普通の価格や低価格モデルだったら心配する必要はないということになる。

結局ブラジルでイングレスをやるとき、敵は三つある。
プレー上の敵(Enlightened 対 Resistance)と、危険な車両往来と、強盗などの暴力である。
ヒャッハーでもよい、修羅の国でもいい、スリルはいや増す、ブラジルのエージェントの仕事は楽でない。

2015年5月29日

デング熱とソファと女性の関連性

今ブラジルでデング熱が流行している。
epidemia、つまりエピデミック(en. epidemic、po. epidêmico)であると宣言される地域が多い。
人口10万人あたりデング熱患者300人というのがその目安らしい。
2015年になってブラジル全国で75万人が罹病した。
昨年同期比+234%という。

デング熱には次の2つの重症ケースがあるという。

水分補給が追いつかないと体内水分が減少する。
その結果血圧が下がると危ない。

骨髄を冒すので血小板製造力が落ちる。
血小板が減少すると出血しやすくなる。
鼻血や歯茎の出血がみられる。
内臓から出血して重症の場合死に至るのが、出血性デング熱(Dengue hemorrágica)といわれる。

デング熱対策に一日22杯の水、という記事を書いたのであるが、デング熱上がりの友人に聞いたところ、そんなに簡単ではないらしい。
デング熱は急に症状が来る。
デング熱だけでなく風邪やインフルエンザなどで、人生一回も高熱になったことのない人はいないと思うのだが、高熱の習いとして、毛布を何枚かぶっても収まらないガクガクの震えが来たのちに、浴びるような汗をかくという繰り返しだ。
身体中の筋肉が痛いというから、全身筋肉痛という感じなのだろうか、とにかくだるく痛く何もできず、歩くのも立つのも苦しく、体がソファに張り付いてしまうらしい。
デング熱の症状に眼の奥の痛みと言われるが、彼の場合は片目だけ痛くなったという。

ソファに張り付いていたら、奥さんには、
「あんたそんな熱くらいで仕事休むの?皆勤賞がもらえなくなるでしょう」
と言われたので、彼は苦々しく、というか痛々しく答えた。
「冗談じゃない、この痛さは人生かって無かった辛さなんだ、お前病院へ連れて行ってくれないか、俺死にそうだ」

病院には同じような症状を訴える患者がすでに数人いた。
デング熱の疑いがあるとすぐに検査が行われる。
結果は4時間後に出るというので、いったん家に帰ったらしい。
陽性となったら市役所の動物課が、デング熱ウィルスを媒介するネッタイシマカの退治のため、家周辺に殺虫剤を撒いて近所の住民に注意を促す。
彼の場合には隣人が先にデング熱に罹ったので、既に蚊によってウイスルをうつされていたようである。

何も食べたくない。
水を飲めと言われても無理、喉を通らない。
オレンジやカジュー(カシューナッツの果実)のジュースと、スープの液体部分が口に入れることのできた全てだった。
点滴を一日2リットル受けた。

結局10日ほど仕事はできず、家で休養するしかなかったが、二度めにかかると重症の出血性デング熱に移行し易いと言われるので、再感染を心配している。

「現代ポルトガル語辞典」でdengueをひくと、
男性名詞 《ブラジル用法》①色っぽさ、色気、しな。②[子供が]むずかること。
女性名詞 [医学]デング熱。
と書いてある。

デング熱が女性名詞なのは、英語のfeverにあたるfebre(熱病)が女性名詞だから頷けるのだが、色っぽさや「しな」が、デング熱と関連があるのだろうか。
デンゴーザ(形容詞形・名詞形、つまり~な・~な人)と呼ばれる人は、色っぽい動作・様子をみせて男の気を引こうとする女性のことだ。
ということは、しなを作る女性とデング熱は同じようなものである、「誰でも一回はかかる、二回目は重い、運が悪いと命を失うこともある」と乱暴に解釈した。
しかし妻にはデンゴーザとデング熱とは全く関係ない、デンゴーザは女性、デンゲは病気、と言下に断言された。
こういった比喩はあまり好きでないらしい。

Dengosa という曲がある。
熱い愛情を求める女性である。
詩ではdengue(=dengo)の関連語を次々に連呼している。
dengosa, dengoso
denguinho
dengo
Elis Reginaが歌う軽やかなボサノバは、デング熱のどろんとした体の重苦しさと全く対極にある。

5月になって涼しい日も増えてきたから蚊も減って、デング熱も沈静化してきている。
これからはインフルエンザが心配になる。

2015年5月24日

感謝祭の赤旗は左翼ではない、精霊だ

五旬祭、ペンテコステ po. Pentecostes

日本で赤旗と言ったら共産党、ブラジルにも共産党はある。
一つだけでなく二つもある。

古い方はPartido Comunista Brasileiroといい、略称はPCB、創立は1922年である。
新しい方はPartido Comunista do Brasil、その歴史を見るとPCBから1962年に分かれてできたものである。
そのために名称は'Brasileiro'と似て異なる'do Brasil'を使っている。
略称はPCdoBペーセードベーと呼ばれる。
内部分裂は左翼のお家芸なのだろう。

泡沫候補とも言うが、独自候補を立てて玉砕するガチガチの古いPCBと比べて、新生PCdoBはより柔軟に連立を組む、まあ日和ってるのかも知れないが、現在の連邦政府の構成党であり、ワールドカップ時のスポーツ相で有名になり現在科学技術相であるAldo Rebelo氏はPCdoBに属する。
2014年の総選挙では党から初めての州知事、Flávio Dinoマラニョン(Maranhão)州知事を選出しているが、連邦政権党PTの仇敵PSDBの副知事とコンビを組んでいるのでわけがわからない。
現実主義の結果なのだろう。

ブラジル連邦政府と言ったら、共和国大統領を選出している労働者党Partido dos Trabalhadoresであるが、やはり赤旗である。

昨日テレビのニュースで見たデモは、参加者が赤い旗を掲げ赤いスカーフをつけている。
最近汚職、経済不振、綻びを繕うための増税緊縮政策で人気の落ちている労働者党政権を激励する官製デモか。
よく見るとデモの中に、野菜を満載した何台もの旧式の2頭立て牛車を、きれいな飾りをつけた牛たちが引いている。

暦は5月の下旬になったが、北半球の暦にあわせ6ヶ月ずらすと11月下旬になる。
カナダでは10月第2月曜日、アメリカ合衆国では11月第4木曜日が感謝祭になっている。
こちらはいま秋、ちょうど感謝祭の季節に重なる。

デモと早とちりしたのは、実はサンパウロ大都市圏の東方で、日系人も多く住むモジ・ダス・クルゼス(Mogi das Cruzes)の収穫を祝う行列だったのだ。
4世紀前から、というとブラジルという国が成立(1822年独立宣言)するずっと以前から続いている収穫感謝のパレードは、キリスト教行事ペンテコステの行列という。

そう、今日日曜日は五旬祭、ペンテコステ(Pentecostes)の日だ。
イエス・キリスト復活の49日後の日曜日については、聖書の使徒行伝あるいは使徒言行録に書いてある。

印象的なところを一部だけ引用する。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。(使徒言行録2-3)
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(2-4)

ニュースで言っていたのを聞いて、なるほどと思うことがあった。
「この日に精霊が降りてきて、意気地なしだった使徒たちが急に強くなった」と言った。
カトリック国であるブラジルのテレビが何気なく教えてくれた。

信心があるわけではない私が聖書を読んで不思議に思っていたのが、どうしてイエスの弟子たちは、何よりも大切な師が捕まり磔にされるときに散り散りに逃げ去ったのか。
情けないぞ、と思うだが、だからこそペドロ(ペテロ)の三度の否認とかのストーリーが語られ、涙なしに聞けない名作マタイ受難曲やヨハネ受難曲が生まれたともいえる。

冷静に考えてみれば、弟子たちがイエスの側から離れられなくて一網打尽で捕まって一緒に処刑されてしまったり、師を一人だけ引き渡すのは無念だとローマ兵と戦って全員玉砕したりしたら、話はそこで終わってしまって聖書が書かれることはなく、現在の世界と全く異なるバラレルワールドになってしまっただろう。

イエスの側にいたから強い信仰をもてるのではない。
そうだったらイエスなき時代に生きるものたちは誰も信仰をもてないではないか。
そうではない、イエスの側にいた時は弱虫だった弟子たちが、精霊の導きによって強い信仰を持てるようになった。
イエスなき世のわれわれにもこれならできそうだ、と思わせてくれるのが大切なのだ。
それが神の思し召しなのだ。

ペンテコステのできごとは教会の始まりと言われている。
もちろん赤い旗や赤いスカーフは、共産党でも労働者党でもなくて、一人ひとりの上に降りてきた、「舌のような炎のような精霊」をあらわしているのだ。

使徒言行録2-4に描かれたことが日本で起きたら、神社は語学学習成就のお守りや絵馬をきっと作るだろう。

2015年5月10日

不運なポケット

昨日のテレビで気になるニュースがあった。
サンパウロの繁華街、衣服などが安い3月25日通り(rua 25 de março)と言ったと思う、そこで強盗団、というかひったくり団が出没している。
それだけなら大して珍しくもないが、東洋人(orientais)が被害者になっていると言ったから、これは大変だ。

このニュースで指摘したことはかなり信憑性がありそうだ。
なぜ東洋人が狙われるか。
東洋人はポケットに金を入れて歩くことが多い、と言うのだ。

だったら、西洋人というか普通のブラジル人はポケットに金を入れないのだろうか?
手提げカバンやショルダーバッグを持つのだろうか。
バックパックを背負ったり、危ないところでは腹の前に抱えるのだろうか。
そもそも現金をあまり持ち歩くことはないのだろうか。

私はよくポシェッチ(pochete)を使う。
ダサくてもこいつを腹の前につけて、しかもシャツは外出しだからシャツの下に隠す。
なおポルトガル語でいうポシェッチとは、日本語のポシェットとは異なるものを指す。

手口はこうだ。
ひったくり団は複数、テレビカメラにとらえられた画像では4人いた。
3人が羽交い締め、手足を押さえつけてから残りの一人がポケットに入れてある札入れを抜き取るという、武器は使わないもののかなり荒っぽいやり方で、犯行時間は10秒もかからない。

一人で5万レアルの被害を被った人がいると言った。
ちょっと待った。
ブラジルの最高額紙幣は100レアル札である。
5万レアルと言ったら500枚でないか。
100枚を紙帯でくくった束の厚さがどのくらいかは知らない。
1センチとしたら、5万レアルは5cmの厚さになる。
もちろん大きさは100レアル札の大きさだ。
そんなかさばる現金の束をポケットに入れて一人で歩くような、不用心な者がいるのだろうか。

その元になった記事を探してみたが、読んでみると少し違う。

テレビカメラに捉えられた4人だけでなく少なくとも15人いるという。
東洋人、と言われていたのは、記事内では「中国人の商人」と、かなり限定している。
強奪されるものは現金、携帯電話、宝飾品とされていて、ポケットの中の現金などとは書いていない。
といったようにテレビで聞いた記事と、書かれた記事とは多少異なるのだが、まあいい。

事件が起きたのはサンパウロであるが、来年リオでオリンピックもあることだし、用心に越したことはない。
「東洋人はポケットに金を入れて歩く」というような風説が広まると、ポケットに何も入れてなくても、襲われかねないからである。

「ポケットの中には札束が一杯」にしておくと、増えるどころかどつかれて一文無しになるという、「不運なポケット」となってしまうという惨めなオチである。

2015年4月26日

ブラジル運転免許の値段

息子がさきごろ運転免許を取ったので、取得までいくらかかったかを記録しておこう。

最初に取得する免許はいわば暫定免許(PERMISSÃO)であって、実際の5年有効免許証と同じ用紙であるが、PERMISSÃO欄に"PERMISSÃO"の文字が印刷されていて、有効期限1年間である。
重大な交通違反(infração de natureza grave)が皆無、中程度の交通違反(infração de natureza média)が1回までで1年間経過すれば、恒久な(definitiva)免許証が取得できる。
それまでの1年間は非常に慎重に運転しなければならない。



ブラジルの運転免許は、Carteira Nacional de Habilitação (CNH)と正式に呼ばれ、カテゴリAからEまで5種類ある。
http://www.brasil.gov.br/cidadania-e-justica/2009/10/carteira-nacional-de-habilitacao-cnh-possui-cinco-categorias
から引用する。
A二輪及び三輪車、側車付きも含む
B総重量3500キログラム未満、運転手を含まない乗員最大8名まででAに含まれない車両
C総重量3500キログラムを超える貨物輸送に使われる車両
D運転手を含まない乗員8名以上の乗客輸送に使われる車両
E構成する車両一単位がB,C,Dに区分されるか、牽引される車両の総重量6000キログラム以上あるいは乗員8名以上か、あるいはトレーラーに区分される連結車両

運転免許を最初に取得する場合は、満18歳以上、読み書きができ、身分証明書とCPF(自然人登録-経済活動に必要)を所持する者で、A, Bそれぞれ単独, あるいはAB同時ができる。
B所持者はCあるいはDを取得可能、C所持者はDあるいはEを、D所持者はEを取得可能であるが、それぞれ前のカテゴリー所持最低1年を経てから上のカテゴリーの取得可能資格ができる。

最も一般的な、初回B取得について述べる。
確か現在、公認自動車学校で法令・構造・救急・安全運転・環境保全など合計45時間の講習を受けた後に筆記試験受験資格が、25時間(つい先日まで20時間だった)の運転実技を受けた後に運転実技試験受験資格ができる。
筆記及び実技試験は自動車学校でなく、州政府の試験場(当市では実技試験は場所は指定されているものの普通の路上)にて行われる。
自習で学んで筆記試験、運転練習場で慣れて実技試験に直接挑むことはできない。
講習や実技の時間数は、公認自動車学校に備え付けた指紋承認タイムスタンプ機で本人確認される。

自動車学校基本料金(45h+20h)550,00
身体検査料134,00
原簿作成手数料46,58
自動車学校再開手数料70,00
筆記試験手数料
Inscrição para exame de habilitação
52,76
路上実習許可証発行手数料
Expedição de licença de aprendizagem
39,57
路上実技講習追加10時間380,00
実技試験手数料3回158,28
車両賃貸と?使用料135,00
免許証発行手数料54,46
合計1.620,65

以上が免許証取得までに実際にかかった費用を書き出したものである。
端数が細かいのはミナス・ジェライス州政府へ支払った手数料、金額が丸いのは自動車学校へ支払った金額である。
なお、教材費、自動車学校や試験場への交通費は含んでいない。

実際のところそれほど簡単とは思わないが、一発合格して補習とか再試験とかが全くなかったとしたらいくらになるか。
運転実技補習10時間と試験手数料2回に加え、全期間2年半の中で一時中断(諸事情で始める前に1年以上休止)したために、再開に必要だった手数料を差し引くと、1.065,13レアルとなる。

あくまでも目安ということで、1レアル=40円で換算すると、42,605円が必要最低金額、実際にかかった金額は64,826円ということになった。

州政府の手数料は州によって異なる可能性がある。
自動車学校は共通定価表などは無く、自由競争である。

2015年4月25日

陰険トムはDDT散布

歩いていると、ときどき興味深いものをみつける。
スーパーで買い物の後、駐車場でみつけた車は、ハッチバックの後面ドアガラス一面が宣伝になっていた。

懐かしいアメリカの漫画「トムとジェリー」である。
何の車か、もっとよく見てみる。
あいにくカメラは持っていなかったのでメモした。

Dedetizadora e Desentupidora
TOM & JERRY
Limpeza de caixa d'água
Limpeza de caixa de gordura
Controle de pássaros (pombo)
Descupinização
Controle de roedores

害虫駆除とパイプ詰まり修理
トムとジェリー
貯水槽清掃
廃油分離槽清掃
鳥(鳩)対策
シロアリ駆除
げっ歯類対策

絵をよく見る。
先を歩くジェリーと手をつないでいるトム、しかしトムはもう一方の後ろ手に棍棒を持っている。
ジェリーを笑顔でだまして棍棒の一撃などと、トムお前は卑怯だぞ、と思ったが、あの漫画実はさんざんジェリーを追い回したトムは結局のところ要領が悪いので、ジェリーと仲の良いブルドッグ・スパイクがそのうち登場して反対にやっつけられるというのが常だったことを思い出す。
どっちもどっちか。

でも害虫駆除業者の宣伝であり、しかもげっ歯類対策とうたっているから本気度満々でジェリーを殺す気なのだろう。
と思ったら、すぐ上に小さい字で代表者の名前が書いてある。
Jerry Adriane
ジェリー・アドリアネ
ジェリーという女性名があるのか、それとも愛称なのか、アドリアネは普通女性の名前だが、ここには書いてない彼女のパートナーの愛称がトムなのか。
それだったらこのトムとジェリーの絵は夫婦喧嘩ということになるが、まあそんなところで深い意味は無いのだろう。

ここから少しポルトガル語の話になる。
dedetização(名詞)という単語は奇妙な響きである。
デデチザソンというのだが、「デデ」と同じ音が2つ続くのが怪しい。

同じ音が2つ続く単語がないわけではない。
一番馴染みがあるのはパパ(papa)、これはお父さんではなく、英語ではpope、ローマ法王である。
母はmãe、父はpaiであるが、お母ちゃん、お父ちゃんとなると同音が2つ続いてmamãe、papaiとなるから、子供言葉というか赤ちゃん言葉は同じ音が2つ続くことが多いと言ってよさそうである。

日本語でもおばあさん、おじいさんが子供言葉では、ばーば、じーじとなるだろう。
ロシアのムソルグスキー作曲「展覧会の絵」に、バーバ・ヤーガの小屋というのがある。
バーバはロシア語・日本語共通なのだろう。
というのは本当かどうか気になって調べてみると、バーバ・ヤーガは妖婆であると書いてあるが、ヤーガという名前の婆さんという意味ではないようである。
Ба́баとは女性であるとGoogle Tradutorは教えてくれる。
女性はすべて婆さんになるんだと、ロシア人は賢く悟っているようだ。

戻ってデデチザソンである。
dedetizaçãoという単語は、割と広告で見ることが多いので今まで辞書を引いたことなどなかった。
害虫駆除という意味だと思っていた。
今回はじめて辞書で確認してびっくりした。
動詞形のみ載っていて、dedetizar 他動詞 DDTを散布する、となっている。
なんと、dedetizarとはDDTizarということだったんだ。

DDT(ポルトガル語読みはデーデーテー diclorodifeniltricloroetano ジクロロジフェニルトリクロロエタノ)の記憶では、第二次世界大戦後の占領米軍による、私の親世代にあたる日本の児童のシラミ退治のため粉を振りまいている写真があるが、ああ不潔な敗戦国だったのかという感情なしに見ることはできない。
Wikipediaによると日本では1971年(昭和46年)5月にDDTの農薬登録が失効した。

一方でブラジルでは2009年になってようやく製造・輸出入・貯蔵が禁止された。
ごく最近まで文字通りDDTを撒いていたらしい。
日本とブラジルの間で時間がかかりすぎという印象を持つが、マラリア蔓延国ではDDTに代わる有効な薬剤が存在しなかったという事情(Wikipedia)は無視できないので、表面的にブラジルはなんと遅れているのだろうと判断を下すことはしたくない。

「沈黙の春」昔はDDTをはじめとする農薬の害で虫や鳥の声がしなくなった光景を想像したのであるが、立入禁止となった放射能汚染地区の、灰色あるいは茶色の、単色の動くもののない街を想像してしまうのは、チェルノブイリ後、福島後の厳しく悲しい現実である。

2015年4月24日

この歳になったら中高年専門結婚相談所

ある愛読しているブログを見た。
niftyココログである。
出会い系ではない。
ブログ自体はいつも通りなのだが、きょう出てくる広告が斬新なのだ。

「中高年専門結婚相談所アイシニア」
普通の結婚紹介サイトはこれまでも宣伝の常連、日本ブラジル取り混ぜてよく見かけるのだが、今回違うのは、
「50才からの出会い」
「この歳になったからこそ本気でパートナーを見つけたい」
ときたもんだい!
思わず語尾が熱くなる。

誰のパソコンにもこの宣伝が出るとは考えにくい。
よく使う検索語とか訪問サイトとかインターネット上の活動から採取した私の属性が、50歳超え独身タイプと一致したのだろう。
そして仮想の私は、近々日本に帰国して配偶者を探すことになっているのだ。

笑い飛ばしておしまいにしようと思ったが、ひっかかるものがある。
もしもブラジルにいる現実の私が、ブラジル生活と家族に嫌気が増していて、別れたい帰りたいと切望しているところへこの広告があったら、背中を強く押してくれるのではないか。
「日本へ帰って、本気でパートナーを見つけることができる」ぞ。
離婚それから帰国へ吹っ切る強い動機になる。

パソコンに出てくる、計算しつくされているはずなのだが怪しげで気まぐれな広告によって、人生の重大な選択をすることになるのか。
インターネットは神だったのか。

現代の神の手から逃れるすべはあるのか。
インターネットに触らない、という方法を除いて。
逆に現代の神を欺くことはできるのか。

普段から高校とか大学のサイトを度々訪問して、検索語や動画サイトもteensが見るようなものをあえて求めていったらどうなるだろうか。
SNSのつながりも、若年の仲間を無理に探して、人格を創造することはできるか。
そうすれば中高年専門結婚相談所に代わって受験塾とか予備校とかの宣伝が表示されるようになるのだろうか。
年頃の子供がいることを現代の神が察知して、中年男のデスクトップに大学高校や予備校の宣伝を入れるようになったら、巧妙で怖いが、きっと可能だろう。
同じ家の同じIPアドレスから二通り、三通りのプロフィールを採取するなど容易そうだ。

そんなことを考えていたら、インターネットラジオOttava Salone 金曜日で、星新一の「声の網」が紹介された。
昔読んだことを思い出した。
商用インターネットがまだ生まれていなかった昭和45年、1970年に、今回インターネット広告に感じた疑惑をすでに予言していた。

疑惑の目で妄想し始めると、「知らなかったら幸せだったのに」感が強くわき起こってくるので止めておく。
現代の神様はそのうち保険屋とか病院とか介護施設とか葬儀屋とかを紹介してくれるのだろうか。

2015年4月5日

ブラジル毒死亡蜘蛛

噛まれると「ビンビンになってバイアグラと同じ効果を発揮する毒グモ」がスーパーのバナナに寄生!! 最悪の場合は死に至ることも!- ロケットニュース24(2015年3月23日00時00分)
http://rocketnews24.com/2015/03/23/557852/

2週間くらい前にこんな記事が出たことを最近知ったのであるが、こんなのこわーいものが身近にあったなんてブラジルで聞いたことがない。
「ブラジルドクシボグモ(英語名:フォニュートリア)」で、ギリシャ語では “殺人者” を意味する。
と書いてある。
突っ込むと、「フォニュートリア」は英語名でなく学名、学名の常としてラテン語あるいはギリシャ語である。
確かに“殺人者”を意味するようだが、
The genus Phoneutria (Greek for "murderess")
であるから男性ではない、女性の殺人者(くどいが、女性を殺すのでなく、女性が殺す)である。
英語名は、元の英語記事ではBrazilian Wandering Spiderと呼んでいるではないか。
ブラジル放浪グモ?
殺人者とか放浪者とか危なげなものはブラジルに一杯あるが、クモまでそうなのか。

和名はブラジルドクシボグモ?
ブラジル・ドク・シボ・グモと区切るのだろうか。
シボとは何だ?
ブラジル毒死亡蜘蛛ということか。

元の英語記事はこれだ。
Spider that can give men four-hour erections found in Tesco bananas
http://www.telegraph.co.uk/news/earth/wildlife/11466651/Spider-that-can-give-men-four-hour-erections-found-in-Tesco-bananas.html

この記事やWikipediaによると、ギネスブックで毒性最強、世界一の毒グモと称されるという。
ポルトガル語では、armadeira, aranha-macaco, aranha-de-bananeiraと3つの名称が載せてある。
聞いたことないぞ。
しかし説明を読むとかなり怖い。

英名のwanderingの由来は、普通のクモのように巣を作って獲物を待つのでなく、ジャングルの地面を歩き回るからそう呼ばれる。
昼間は物陰やバナナの木(正確には樹木ではないが)などに隠れていて、夜徘徊する。
だから英語別名banana spiderと呼ばれ、ポルトガル語のaranha-de-bananeiraは同じ意味である。

南アメリカ原産、体長は3.5から5cm、足を伸ばした全長はメスで17cm!
大きい。
しかも攻撃性が強く毒性が高い。
獲物、交尾相手、単に隠れ場所を求めてしばしば人家に侵入し、衣服や靴の中に隠れる。
脅かされると怒って何回も噛み付く。
ブラジルでのクモによる咬傷事故件数では、これは私も知っている有名なaranhas-marromチャイログモに続き第2位である。
WikipediaのBrazilian wandering spiderの項には、人の腕をこの巨大グモが這い歩いている写真が載っているのだが、ペットにして飼うと危険と書いてあるのはどうしたものか。

誰も経験したことのない、文献からのみ構成される記事には矛盾のある記述がしばしばあるものだ。

The species is deadly and its venom can kill a human in just two hours - but can also give male victims a four-hour erection.
これらの(クモの)種は致命的で2時間で死に至ることがある-しかし男性は4時間にわたり勃起することもある。

4時間勃起し続ける前に、2時間で死んでしまうんじゃないのか?
2時間で致死に至る毒量と4時間勃起する毒量とはもちろん違うだろうから、後者の毒量でしかも副作用がなかったなら多くの男性には朗報であるはずだ、と思ったら、
Erections resulting from the bite are uncomfortable, can last for many hours and can lead to impotence.
などと書いてある。
勃起しても気持は良くない上にインポになる?
全然良いことないじゃないか。

イギリスの主婦がコスタリカから輸入されたバナナに発見した、孵化しかけた殺人グモの卵、今までブラジルで生活してきて注意などしなかったバナナやバナナの木であるが、また一つ気を付けなければならないものが増えてしまった。

2015年3月16日

平和デモは国旗と鍋とクラクション

抗議デモ、180万人が参加=政府への不満噴出―ブラジル
時事通信 3月16日(月)5時47分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150316-00000010-jij-int

数日前のことであった。
大学生の息子が、3月15日の全国反政府・反汚職(corrupção = 腐敗)マニフェストデモの招待というか招集がSNSを駆けまわっていると言っていた。

そして今日である。
朝から雨が降る涼しい日になった。
日曜日なので通常のニュースはないのだが、夜の報道番組で各地の反政府・反腐敗集会のレポートをしていた。

各地の州都の動員数であるが、通常の都市で数万人、大都市で十万人規模、最大都市のサンパウロ市ではビジネス街パウリスタ大通りに百万人の人々が集結したという。
文頭の時事通信から引用の見出しによると、全国で180万人の人出だった。

二日くらい前にあった政府支持デモでは、Dilma Rousseff大統領と労働者党(Partido dos Trabalhadores - PT)の支持者、一部の労組と土地なし労働者運動を主とした参加者が、赤い旗を掲げながら、しかし汚職には厳しい追求をと、汚職舞台のペトロブラス(Petrobras)前などにかなりの人々が集まったのが報道された。
今日は雨模様の中、政府支持側と比べてどれだけ反政府側が動員できるのかが興味であったが、私の予想を大幅に超える大群衆の国民が集結した結果となった。

今日の反政府デモの特徴は、ブラジルの国旗を掲げたり、体にまとったり、顔にペイントしたりしているので、遠くから見ると国旗カラーの緑と黄色に彩られているところが、二日前の政府支持の赤旗の色と好対照である。

2013年のコンフェデレーションズ・カップ開催時期のデモでは、平和的運動に徹する多数の群衆に紛れ混んだ、騒ぎを起こしたり騒擾に乗じて略奪を試みるけしからん連中の暴動が目立った、残念な結果となった。

今日のデモでは、サンパウロ市で"Carecas do Subúrbio"、無理に訳すと野暮ったくなるのだが、「郊外のスキンヘッド」という連中が暴力を振るったというので20人位逮捕されたくらいで、銀行・商店やメトロの駅など公共施設の破壊行為は記録されていない、至って平和的・合法的な反政府運動であった。

二週間くらい前に軽油の大幅値上げ、これは軽油自体の値上げというより、支出を制御できない連邦政府が財源を取りやすいところから取ろうという、1リットルあたり20センターボの大幅増税であり、自動車道料金値上げに燃料増税で踏んだり蹴ったりの全国のトラック運転手たちが、トラックを国道に連ねて道路封鎖した示威行動があった。

その運転手連中は今日の反政府デモに連帯を示して、パウリスタ大通りにトラックを連ねて乗り込もうとしたのだが、あまりに人出が多くて大通りには乗り入れることはできなかったので、隣接した通りに停車してクラクションを鳴らしまくる、ブジナッソ(buzinaço)という行為に及んだ。
buzinaはポルトガル語でクラクションの意味である。

一方今回の反政府運動に賛同する家庭の主婦は、鍋や蓋を持ち叩き合うパネラッソ(panelaço)で連帯感を表明した。
言うまでもなく、panelaは鍋を意味する。
パネラッソを女性がベランダで行っているアパートでは、多分旦那さんが部屋の照明のスイッチを点滅して同様に反政府デモに連帯感を示していたが、この照明を点滅する戦法には特に名前はついていないようである。

夕方法務相はインタビューで、汚職対策をより厳しく行う政策を近日発表する約束をしたからこれから注目だ。

2015年2月22日

サマータイムと幸福の条件

今日は2015年2月21日、2月第3土曜日である。
当然明日は2月22日、2月第4日曜日になる。
2008年9月8日政令第6558号(DECRETO Nº 6.558, DE 8 DE SETEMBRO DE 2008.)

を見ると、
ブラジルのサマータイムつまり夏時間の実施規則は、
  • 夏時間入り - 10月第3日曜日の零時
  • 夏時間明け - 翌年2月の第3日曜日の零時
  • 夏時間は通常時間より1時間進められる
  • 夏時間終了日曜日がカーニバルの日曜日と重なる場合は、夏時間終了は次の日曜日となる
と書いてある。

夏時間は春分の日の1か月後に始まり、秋分の日の1か月前に終了するので、だいたい夏至を真ん中に挟む4ヶ月継続するように作られているのだ。
2015年は上4番目のカーニバル日曜日条項が適用されるため、夏時間終了は2月第4日曜日になったのである。

というわけで今日土曜日はサマータイム最後の日なのだ。
夏がいくら暑くても、夜多少寝苦しくても、夏が去ってしまうのは寂しい。
夏が去る時に感傷的になる曲は、何といっても The Summer Knows をあげるが、Summer 68も捨てがたいと思うのだ。
きっと他にも私の知らない曲がいっぱいあるだろうから、それはどうでも良い。
異論は認める、ということだ。
-Michel Legrand faleceu em 26/01/2019. R.I.P.

サマータイムという曲は、ガーシュイン(George Gershwin)がオペラ、「ポーギーとベス(Porgy and Bess)」のために作った曲である。
1935年のことである。
作詞は DuBose Heyward となっている。
ビリー・ホリデイが歌ったものを最初に聞いたので、ブルースかジャズの曲だと思っていた。
その中にこんな文句がある。

Your daddy's rich
And your mamma's good lookin'
So hush little baby
Don't you cry

子守唄なので幼子に、「父さんは金持ちで母さんは美人だよ、だから泣くなよ」、と歌っている。
赤ん坊は道理がわからないから、適当な嘘でごまかしていると疑えなくもない。

半分ジャズと言ってもいいガーシュインだけではなく、クラシック・オペラの本場イタリアのドニゼッティ(Gaetano Donizetti)による曲でおんなじ文句を聞いたので、これを書いているのだ。
「ポーギーとベス」の約100年前のことだ。
ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」(1832初演)から「私は金持ち、あんたは美人」はこう歌う。

第2幕 二声のバルカローレ Act 2 Barcarolle for Two Voices
Io son ricco e tu sei bella / "I'm rich, and you are beautiful" - Dulcamara, Adina, Scene 1
ドゥルカマラはインチキ薬売りだったか。
アディナに歌う。

Io son ricco, e tu sei bella,
io ducati, e vezzi hai tu:
perché a me sarai rubella?
Nina mia! Che vuoi di più?

イタリア語はわからない。

私は金持ちあんたは美人
私はドゥカティ(金)持ち、あんたは愛嬌持ち
どうして私の望みに抗うの
可愛い娘よ、もっと何が欲しいの?

「愛の妙薬」も「ポーギーとベス」も舞台を見たことはない。
でも詞から伺えるのは、19世紀でも20世紀でも幸福の条件は同じ、男は富を持ち、女は美を持つことを求められる。
普遍で定型的な幸福は100年たっても1000年たっても変わらないのだろう。

救いといえそうなのは、「ポーギーとベス」のクララは美しいか醜いかわからないけれど、漁師ジェイクはものすごい金持ちではあるまいし、劇中嵐で遭難死してしまうし、「愛の妙薬」に至っては、口達者な詐欺師まがいのドゥルカマラが結婚式の余興でアディナに歌ったということなので、両方とも真実を反語的に語っていると思えばよいのだ。

男は適当に小金があって、女はそこそこ可愛ければ大部分の男と大部分の女は、十分な幸せを楽しめるはずだ。
それもなかったらどうするって?
上を見るときりはないが、試しに下を見てみればそんなに捨てたもんじゃない、と思えるような心が大切なんだよ。

今晩は1時間余分に寝られるという、ささやかな幸福を味わうとするか。

2015年2月15日

Oh Be A Fine Girl, Kiss Me

クラシック音楽のリクエスト番組 Ottava Salone 金曜日は、ご本人によると星のソムリエをめざしている森雄一さんのナビゲートである。
そのため星とか宇宙とかの話題が多い。

今日聞いていたら、「カノープスは赤い」というあるリスナーの方のメールが読まれて、そんなはずはない、と疑問に思った。
夜になれば実際に見ることができるから即座に疑問解決するのだが、あいにく午後から曇ってきた。

いつものようにWikipediaでカノープスを見る。
「カノープス(Canopus)は、りゅうこつ座α星(α Carinae)、りゅうこつ座(Carina)で最も明るい恒星で、シリウスに次いで全天で2番目に明るい恒星である。」
要約すれば以上のとおりだ。

トヨタ・カリーナという車がある。
ブラジルにはCarinaという女性名がある。
竜骨と言ったら船の部品ではないか。
Carinaさんとは、竜骨さんなのか。

家の電球は、2001年の電力不足の時から、ほとんどは電球ソケットにつける蛍光灯となっている。
電球型蛍光灯か、蛍光灯型電球かどちらが正式名かわからない。
一口に蛍光灯といっても、電球に書いてある色温度が異なっていると光の色が違うことくらいは経験で知っている。

そこでカノープスの温度だ。
表面温度7500Kとある。
太陽は6000度という昔からの記憶がある。
表面温度は5778Kとある。
カノープスは太陽より青っぽいはずだ。

さらに読んだら説明があった。
「高度の低さから赤みがかって見えることから、中国の伝説では寿老人の星、南極老人星とされ、この星を見た者は長寿になるという伝説も生まれた。」
南半球に住んでいる人は、1万年くらい長生きしそうである。

カノープスは赤緯-52度、ということは、90マイナス52の北緯38度以北では決して見られないことになる。
東京で一番高度が高い時に地平線上2度、これでは見る機会は非常に少ないであろう。

星図を見るとシリウスもカノープスも赤経約6h30mで、だいたい同じ時間に南中、ここは南半球だから北中となるのか?
面倒を避けるために、慣用語ではなく今調べた正式用語、「正中」する。
うちは大体南緯19度、シリウスの赤緯は-17度なので、正中するとシリウスは頭上真上に見える。
そこから少し南側に下がるとカノープスがみつかる。

恒星のスペクトル分類の項を見る。
太陽の属するG型の色は黄色、カノープスの属するF型は黄白色とある。
やはりカノープスは太陽より青白っぽい。

スペクトル型配列の覚え方である。
見た記憶が無いのだが、昔は試験に出なかったのだろう。

英語では、
Oh Be A Fine Girl, Kiss Me
シェイクスピアが4世紀前にこう言ったと言われたら信じてしまいそうだ。

一方日本語ではどうか。
「お婆、河豚噛む」(オ、バ、ア、フ、グ、カ、ム)という覚え方があるという。
比較しても仕方ないのだが、英語版と比べて品がない。

晴れたので庭に出て空を見上げた。
白いシリウスと同じように、やはりカノープスは白かった。
厳密に言えば、シリウスはA型、カノープスはF型だからシリウスよりは黄色っぽいはずだ。

これでまた1年長生きするぞ。

2015年2月6日

ブラジル通貨・十字軍

日本は十字軍の仲間入り? イスラム国のいう「十字軍」とは何か?

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 2月3日(火)18時3分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150203-00010003-shincho-int

今回のイスラム国の日本人人質の法外な身代金請求から惨殺に至る事件では、日本の安倍首相のアラブ圏人道援助の発表のタイミングややり方が悪かったとか批判はあるものの、起きてしまったことである。
いつも影のように目立たないようにしていれば変な奴に目をつけられることもなかったと言えようが、授業中分からない問題があって教師に当てられないように、前に座っている人の背に隠れるように体を低くし続けるわけにもいかないだろう。
いつかは当てられて、自分の考えを発表しなければならない時が来る。
もう泣き言を言っても始まらない。

ブラジルにいたらイスラム国の隠れメンバーから拉致されたり街頭無差別攻撃に遭うという極めて確率の低い危険より、銃を持った強盗に街路で襲われる危険や、運転中に対向車線の追い越し違反トラックと衝突する危険のほうがずっと大きい。
面倒な事にはなったが、いつも犯罪や交通事故に対して心がけている注意を忘れないように続けるしかない。
会社命令のためいやいやながら海外駐在している人にとっては、要らぬ災難が降ってきたと思えるかもしれない。

十字軍という言葉を聞くと、古い音楽ファンである私は、以前にジャズ・クルセイダーズ(The Jazz Crusaders)と名乗っていたザ・クルセイダーズ(The Crusaders)を思い出す。
「ジャズ十字軍兵士団」とは大層な名を名乗ると思ったが、ジャズ、フュージョン、ソウル、ポップ(Wikipedia英語ページ)にわたる分野で活躍した。
女性シンガー、ランディ・クロフォード(Randy Crawford)をサポートした1979年のストリート・ライフ(Street Life)はいつ聞いてもぞくぞくする名曲で忘れられない。
歌詞はタンゴの曲にありそうな悲哀、刹那感を帯びているが、演奏と歌は極めてクールで格好良い。

そういえばもっと昔フォーク・クルセダーズというのもあったなあ。
「帰って来たヨッパライ」のテープ早回しはビートルズなんかの影響だったのだろうか。

もう一つの十字軍はブラジルのものだ。
1986年のデノミネーションで、ブラジルの通貨はそれまでのクルゼイロからクルザードになった。
記録を見ると、1000クルゼイロ=1クルザード(Cr$1.000 = Cz$1,00 ポルトガル語数字表記に従う)の比率であった。
Cruzeiro(南十字星)からCruzadoとなったのだが、Cruzadoは形容詞で「交差した」、名詞で「十字軍兵士」という意味だ。

Google Tradutorにかけてみた。
Traduções de cruzado
adjective
crossed = cruzado
criss-cross = cruzado, com linhas cruzadas, rabugento
mongrel = híbrido, mestiço, cruzado, atravessado
noun
crusader = cruzado

最後の名詞形に、クルセイダー=クルザードと書いてある。
インフレと戦う十字軍兵士であったはずだが、残念ながらインフレには勝てずに、その通貨名ははるか昔に使われなくなった。

勇ましいキリスト教徒というとサン・ジョルジェ(po. São Jorge)、英語では Saint George である。
名前のとおり聖人である。
いろいろな国、地域、都市の守護聖人になっている。
イングランド、ポルトガル、ジョージア(国)、リトアニア、カタルーニャ、セルビア、モンテネグロ、エチオピア、ロンドン、バルセロナ、ジェノバ、モスクワ、ベイルートなどが、Wikipediaポルトガル語版のリストにのっている。
セイント・ジョージの赤い十字は連合王国の国旗の一部である。

兵士、兵器工、旅人、農民の守護聖人でもある。
新しいところではブラジル陸軍騎兵隊、フットボールチームのコリンチャンス(Sport Club Corinthians Paulista)の守護聖人となっている。
白馬にまたがり槍を持ち、竜退治をしている姿がよく知られている。

3世紀のローマ帝国軍人、殉教者であったサン・ジョルジェは十字軍とは何の関係もない。
プロフェタ・マオメ(po. profeta Maoné)つまりムハンマドは6-7世紀に現れた預言者である。
十字軍が編成されたのは11世紀から13世紀である。
この三者に接点はない。
しかしきっと勇ましいサン・ジョルジェのイメージや、赤い十字は十字軍の旗印に使われたことと思う。

引用記事によれば、十字軍は、2000年に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(po. João Paulo II)が謝罪したという、キリスト教の負の遺産というべきものである。
今から8世紀から10世紀前に十字軍は、ローマ法王の意を汲んで、おおむね平和に暮らしていたイスラム教勢力下の聖地に攻めこんで、十字軍国(en. Crusader states)を打ち立てようとしていた。
そして現在に至りイスラム国(en. Islamic State [of Iraq and the Levant])というものが勃発した。
十字軍や、異端審問のはびこる暗黒時代とも例えられるキリスト教中世の再現と言ったら、歴史の皮肉だろうか。

イスラム国が悲惨で狂気的であるのは、敵や異教徒の捕虜や人質の扱いもそうなのだが、同じ宗教基盤を持ち、普通なら信頼を寄せてくれる仲間になるはずのイスラムのスンニ派の平和な住民であっても、自分らの意に従わないものは容赦なく蹂躙する恐怖支配を根本としている点である。
少年がフットボールの試合を見たから銃殺とは尋常でない。
イスラム国のめざす7世紀のイスラム教創成期とは、そんな陰鬱な時代だったのだろうか。

調べたらクルセイダーズはオリジナルメンバー二人が相次いで2014年に死去した。
実質的活動停止状態と思われる。

ブラジル通貨クルザードはバンドのクルセイダーズよりずっと短命で、1989年に千分の一デノミネーション(Cz$1.000 = NCz$1,00)をしてクルザード・ノーボ(cruzado novo)となり、それも1990年の等価デノミネーション(NCz$1,00 = Cr$1,00)で以前の名前のクルゼイロにとって替わられ、以降この呼称は使われなくなった。

十字軍、一見勇ましく格好良いが、刺を持ち軋轢を生む宗教的偏狭なこの単語が忘れ去られる世界になってほしいものである。

2015年2月3日

節分=カーニバル説

冬と春を分ける節分である。

インターネットクラシックラジオ Ottavaを聞いていたら、プレゼンターのピアニスト本田聖嗣さんが、中南米を含む欧米の謝肉祭つまりカーニバル(Carnaval ポルトガル語読みではカルナヴァル)と、立春前の節分とは同じようなものでないかと、大胆な説を唱えていた。
単に受けを狙っているのではない。
本田さんはフランス生活が長いため、フランスや近隣国でカーニバルを過ごしていたであろうから、実際に節分と似た点を感じたのであろう。
でも、西洋のクラシック音楽と東洋の節分の接点を無理やり求めた結果かもしれない。

現在私たちが聞くクラシック音楽は、欧州のキリスト教社会で生まれたものであるから、東洋の作曲家の作品を除いたら当然「節分」の曲なんか無い。
豆をまく習慣とか、最近の節分の風潮である恵方巻きなんぞ、クラシック音楽の世界には見当たらない。
鬼火とか、豆も種であるので豆まきならぬ種まきの曲をカーニバル関連曲と共に紹介していた。

Mardi Gras(マルディ・グラ)フランス語で「油まみれの火曜日」という意味なんだそうだ。
ポルトガル語だったら terça-feira gorda、スペイン語だったら少し似ている martes gordo となるのだろうが、そのようには呼ばれず、マルディ・グラの日はブラジルの暦ではカーニバルの火曜日 terça-feira de carnaval のことである。

世界的に有名なマルディ・グラは、多分フランスのものではなく、アメリカ合衆国のルイジアナ州ニュー・オーリンズ(New Orleans - Louisiana)である。
まあフレンチ・クォーターとかがあってフランスの伝統の息づいた街であるから、別に不思議ではない。

米国に住んでいた友人から昔もらった絵葉書の写真のせいで、ニューオーリンズのマルディ・グラといったら、二階のバルコニーから陽気な女性たちがパンティーをずり下げてお尻ペンペンしている情景しか浮かばないので困る。
最近はマルディ・グラの画像を検索しても、そんな写真が見られないのは残念である。
お尻だったらブラジルでいくらでも見られるからいいか。

ブラジルのカーニバルというと、お尻露出ほぼ全開で、聖なる要素は見られないとはいえ、キリスト教移動祝日の一つであり、天体の月の運動に応じて毎年日付が変わる

ニューオーリンズのマルディ・グラの下のリンク先ページは、10年先までのマルディ・グラ、つまりカーニバルの火曜日がすぐにわかり便利である。
http://www.mardigrasneworleans.com/when-is-mardi-gras.html

通常は2月に起きるが、10年間に2回、2019年と2022年は3月に入り込む遅い日付になる。

さて、表題であるカーニバル=節分説である。
立春前の節分は、一番寒い季節からこれから気温が上がってゆく春の訪れに、福は内鬼は外と、幸運と厄除けを願う。

北半球の春分の日の次の満月の次の日曜日、と定められる毎年の復活祭、これはキリストの復活と同時に春の始まりで収穫を願うめでたい祝日である。
復活祭に先立つ日曜日を除く40日、つまり四旬節は敬虔なキリスト教徒にとっては贖罪と内省の日々であるので、その前のカーニバルは(北半球では)春に先立つ節制にこれからはいるというけじめの日であるといえる。
その意味で節分とカーニバルに共通点を見出すことができそうである。

それを言うならブラジルでは、もちろん文字通り2カ月以上も休んでいるのではなく気持ちの問題ではあるが、12月のクリスマスから続いたなが~い休暇期から覚醒して活動期に入るという、夜明け的な意味の季節の分け目と考えても良い。

2015年1月29日

スタジアムは自撮り棒禁止

自撮り棒という物体であるが、英語でselfie stick、ポルトガル語ではselfieはselfieなので、pau de selfieとか呼ばれている。
10年前には存在しなかっただろう。
いや、最近読んだ記事では、デジカメが出始めた頃、ある日本のメーカーが発売したのだが、棒の先につけるには当時のカメラが重すぎたために普及しなかったと聞いた。
先取りすぎた製品だったのだ。
そうだったら自撮り棒は日本発祥ということになる。

ブラジル人はSNSが大好きである。
SNSなどしょっちゅう呼ばれて、どうでも良い写真を見させられて、いちいち褒めたり、いいね押したりするのはめんどくさくてやってられない、といううちの家族のような人はかなり少ないようである。

世界的に見るとかなり特異であるが、ブラジルではGoogleがやっていたOrkutというSNSが流行していた。
そのうちOrkutは廃れて、Googleは2014年9月にサービス停止した。
その頃からのSNSユーザーはFacebookに流れて、新しいユーザーも巻き込んで繁栄している。

ついでだが、ブラジルでLineユーザーはほとんど見られず、音声通話はできないがメッセージアプリWhatsAppがその位置を占めている。

近年のスマホの発達により、これまで家に情報機器の一切無かった家庭に、デスクトップやノートパソコンの段階をすっ飛ばしてスマホがインターネット初体験という人々が想像以上にいるようである。
使用に多少の「作法」が必要なパソコンとちがって、スマホだったらこれまでの携帯のノリで、スイッチを入れたらいきなり使える、という手軽さがある。

カメラも同様である。
日本の年配のカメラ小僧(古い!)だったら、昔は35ミリ銀塩フィルムとか、一眼レフとかを愛用していた連中が最近になりデジタル一眼とかコンデジとかを使うようになったのであるが、最近のスマホのカメラ機能の発達は著しく、余程のこだわりがなければ出かけるときはスマホだけ、という人も増えただろう。

ブラジルだったらカメラは高価な精密機械であったため、昔は手が出ず、生まれて初めて使うカメラがスマホだという人は多いと思う。

写真とSNSが結びつけばセルフィーである。
ブラジルの地方都市では見かけたことはないが、selfie stick、自撮り棒は最近のスマホの注目アクセサリーである。
これから急速に普及すると思われる。

日本のディスニーランドで自撮り棒が禁止された報道を見たが、人の密集する場所で子供も多いところであるから安全のために禁止は妥当だろう。

ブラジルのサッカー界は先手を打った。
スタジアムでライバルチームのサポーター同士の乱闘が日常的風景になる(眉を顰める良識人は極めて多いのではあるが)ブラジルである。
乱闘の武器になりそうなものをことごとく排除してきた歴史がある。
スタジアムで試合を見ながら飲むビールは最高という人は多いと思うが、瓶は危ないからと缶になった。
缶も危ないだろうとプラスチックコップになった。
酔って勢いがついて喧嘩するというので、スタジアムの酒類販売や持ち込みが禁止となった。
2014年のワールドカップでは、大スポンサーがビールメーカーというので、例外でビールが解禁されたのは新しい思い出だ。

振り回すと危ないというので旗竿が禁止となった。
最近の旗は竿についていなくて、観客席を覆う巨大旗が観客の手によって広げられたりまくられたりするのが主流である。
そうして危ないものをスタジアムから無くしてきたところに、自撮り棒などというものが現れた。
振り回すのに手ごろな長さの棒である。
スマホのところにおもりをつけるようなことを考えだす輩もいそうだ。
一昨日のニュースを見たら、これまでいくつかの州で禁止された自撮り棒が、全国的にスタジアム持ち込み禁止となったようである。

ひとつ気になることを言っていた。
飛行機の中では自撮り棒は禁止されていないようである。
人が狭い空間に密集する機内である。
後ろの列に陣取ってレジャー旅行だと浮かれる連中の騒ぎに辟易していたところ、頭上にスマホのついた自撮り棒がニューっと伸びてきたら旅が最悪になること間違いない。
こっちもそのうち禁止されそうである。

2015年1月28日

サンパウロは週5日断水の恐れ

ブラジル国外ではあまり報道されてはいないが、BBCに記事が出た。

ブラジル人口集中地域80年来最悪の干ばつ

24 January 2015 Last updated at 15:08 GMT
Brazil's most populous region facing worst drought in 80 years
http://www.bbc.com/news/world-latin-america-30962813

ブラジル環境相によると、国内3つの人口集中州は1930年来最悪の干ばつに見舞われている。
3つの州とは、Sao Paulo, Rio de Janeiro と Minas Gerais である。

単に蛇口から水が出ないだけではない。
家庭用水を優先する結果、最初に取水制限が課せられる工業・農業は、低迷する経済の足を引っ張る。
そのため電力が余るのでなかったら、水不足のため水力発電に回せる水量が減るから、電力料金は上昇して、配電制限のおそれも出てくる、泣きっ面に蜂状態になる。

サン・パウロ大都市圏最大の水源カンタレイラ(Cantareira)水系-8百万人に水を供給-の貯水量は、雨季(だいたい10月から4月)の最中というのに、たった5.2%しかない。
引用したBBC記事がさらに引用したグロボ Globo のG1サイトによると、直近1ヶ月の雨量は平年の33.5%に過ぎないという。

サンパウロ州政府は、水使用量の多い使用者へ超過料金、水を節約した使用者へ割引料金、工業・農業分野の河川からの取水制限などの対策をとってきた。
BBC記事によると専門家は、政治に根ざす政府当局の無計画が原因と批判している。
昨年10月の大統領と州知事及び連邦・州議員選挙のため、有権者の口に苦い配水制限のような不評だが先見のある政策を避けてきたツケが出ているのだ。
確かにあの頃は、ブラジル人得意の楽観からか、年末になって雨季が来れば大雨が降って問題解決と、根拠なく皆が思っていたようである。

ミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンテ大都市圏では、超過料金の可能性が発表されている。
また連邦政府に水系間連絡水路の緊急工事を訴えている。
州知事は30%の節水を州民に呼びかけ、それで不足するならrodízio(輪番)、さらにはracionamento(配給)が実施されるだろうと警告する。

リオ・デ・ジャネイロ大都市圏では現在のところ料金体系を変更する発表はない。
他の水系から引水する大工事の必要も訴えていない。
現在の段階で計画断水はささやかれていないものの、今のような天気が続き、3月までまとまった降水量がない場合は、その方策を取らざるを得ないと、市民に水節約を呼びかける。

昨年からの水不足本家本元の、サンパウロ大都市圏はどうか。
昨日のニュースではサンパウロ州水道局長(役職名はおおまか)が、現在のような雨不足が続いた場合、5日断水2日通水の極めて厳しい水道供給制限がしかれる見込があると発言した。

市民がアイデアを披露するマスコミの節水キャンペーンは賑やかであるが、前代未聞の五干二水の水道配給が実施されたらみんな笑っていられるだろうか?
ファベーラ(スラム街)は、特にリオデジャネイロのような平地が少ない場所で明らかであるが、斜面にへばりつき上へ伸びていく。
そのようなところでは水道の水圧が低そうである。
給水再開後1日かかってようやく水が戻ってきたと思ったらまた5日断水となると、住民は怒り出しそうだ。
丘の上の給水塔がファベーラと接しているようなところでは、そのようなところが実際にあるかどうかは知らないが、荒っぽい住民が勝手に水道管を改変してしまうような、盗電ならぬ盗水が起きるのではないか。
水道管を短絡して盗んだ水をタンクローリー車に積んで、水の届かない地域に出かけて行き法外な値段で水を不法販売するような輩も現れそうだ。
場所が場所だけについでに薬物がセットになったりして。

今から心配している。

2015年1月22日

ムハマンドとイエニスタ

予測変換とコピペの功罪の話である。

パソコンやスマートフォンなどで日本語を書くときには、ATOK とか MS IME とか Google日本語入力とかのお世話になる。
使っている人はわかると思うが、これが便利なのは漢字がうろ覚えであっても、入力途中で予測変換して候補が出るので、辞書を引かなくてもたいていは正しい漢字を選ぶことができる。

この間別記事を書いていた時に引っかかったことがある。
正しくはムハンマドというのにムハマンドだと思っていて、「むはま」と入力したら予測変換で全文字打つ前にムハマンドになってしまったようなのだ。

預言者の名前はポルトガル語では Maomé と書かれ、マオメ(ー)と呼ばれる。
イスラム教は昔マホメット教と呼ばれていたと思うが、それと似ている。

Yohoo知恵袋の記事
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287663252
にはアラビア語の説明で、短母音は文字に現れない、とあるので、アラビア語をアルファベットで書くと mhmmd となり、ムハマンドと読むことはできずにムハンマドがより正しい、と詳しく説明してある。
英語にするとき子音だけではわけがわからないので、アラビア語では書いていない母音を書くときにいろいろな母音が使われる、とある。
そのため英語表記になると、
Muhammad Muhammed Mohammad Mohammed Muhamed Mohamed
などといろいろに書けるのだという。
これがすべてアラビア語では محمد 、一つ一つ切り離すと م ح م د となるそうだ。
興味深いのだが難しい言語である。
このアラビア語の達者な回答者によると、「ムハンマッド」に近い発音をされる。

Wikipediaによると、Muhammadとローマ字に転記され、近年では標準アラビア語の発音に近い「ムハンマド」に表記・発音がされる傾向がある。
でもポルトガル語で会話の時は、プロフェタ・マオメーと言わなければわかってもらえないだろう。

フットボールのスペイン代表選手の名前で、イニエスタなのかイエニスタなのかわからなくなる、というのを聞いたことがある。
原語では Andrés Iniesta 間違いなくイニエスタである。
ieという二重母音は、eにアクセントが置かれ、スペイン語では多用されるのだが、日本人だったら「家にスタ」という連想が働くのだろう。
Google日本語入力を使って「いえにす」と入力すると、「→イニエスタ<もしかして>」、と教えてくれるのはありがたい利点だ。

しかし、変換実績を学習するスマートな日本語入力システムで困るのは、パソコンやスマートフォンを一時的に誰かに貸さなければならないときだろう。
いつも◯◯な単語を変換すると、システムは◯◯な単語を候補の頭に持ってきてくれる。
◯◯が「高尚」とか「優雅」とか「難解」なら格好がつくのだが、「下劣」とか「卑猥」とか「変態」とかだったら、普通の人は恥ずかしく感じるだろう。
プライバシーを隠匿する操作をマスターしなければ危ない。

2015年1月13日

Je ne suis pas Charlie

フランス語のタイトルである。
このところメディアで一番有名なフレーズは、フランス語の、"Je suis Charlie"、「私はCharlie」なのだが、これに違和感を持つのは私だけでないと思う。

どうしてか。
第一に、Charlie Hebdoの風刺画は下品だと思う。
"Je suis Charlie"というプラカードを掲げる人たちは、この雑誌の絵を本当に好いて、面白いと思って、本心から"Je suis Charlie"と訴えているのだろうか。

第二に、表現・言論の自由という錦の旗のもとに、誰もが盲目的に馳せ参じているのではないか。
言論の自由の最大の奉仕者である新聞社、出版社、放送局などが旗を振っているので、その大衆動員力は計り知れない大きさである。
その波に乗った"Je suis Charlie"というメッセージはいかにも安っぽく見える。

第三に、キリスト教的価値観が目立ちすぎるようにみえることだ。
この雑誌のような無神論者と言うか神冒涜者や、キリスト教者は堂々と参加できるのに、イスラム教者は「イスラムは平和を愛す」言い訳を常に表明しないと参加できないような気の毒な立場だ。

そう感じていたところこの記事を見て、ああよかったと思った次第だ。

France divided despite uplifting rallies

http://www.bbc.com/news/world-europe-30769192

フェイスブックの"Je ne suis pas Charlie"「私はCharlieではない」ページは2万1千いいねを集めた。
このページに親指を立てたイスラムのフランス人は、Kouachi兄弟やCoulibalyとは何の関係もない平和主義者である。
でも預言者ムハンマドを侮辱したこの雑誌からは距離を置く。

欧州のダブルスタンダードには耐えられない。
ガザやシリアで何千人もの命が失われているのに、なぜパリの17人の死がこれだけ騒がれるのか。
Charlie Hebdoが何のお咎めもないのに、ユダヤを茶化したDieudonne M'bala M'balaは送検されるのか。

移民の多い周辺地区の学校では、Charlie Hebdo犠牲者追悼の黙祷が中断されたり無視されたりした。

ツイッターで"Je suis Kouachi"タグが現れたというのだが、これはやり過ぎだろう。

フランスは一つにまとまりなどしない。
でもこれで良いではないか。

南米人二人の意見に賛同する。

あるブラジル人漫画家は、「Charlie Hebdoのために働く気はない。裸のマオメ(ムハンマド)など描きたくない。」と言った。
同感だ。
裸の預言者ムハンマドの絵など面白くもない。
糞面白くないものを無理やり見させられるのは苦痛である。
イスラムの人は預言者が侮辱されたと感じるだろう。
表現の自由は尊重するが、この雑誌の表現には見てくれる人への思いやりが全く感じられない。

「悪趣味が相手であろうと暴力に訴えるのは間違いだ。」と言ったのはアルゼンチン人のフランシスコ法王である。
マリア様が大股を開いている絵など、カトリックもしばしばこの雑誌の風刺の対象になっている。
ポルトガル語報道でmau gostoと出ていたから、カトリック総本山がこの雑誌を好いていないことは間違いない。
そのうえでイスラムの指導者へ意見する。
「イスラム指導者は急進暴力主義者を糾弾すべきである。」

さて、3百万部発行されるというCharlie Hebdoの最新号表紙は、預言者ムハンマドの再登場だ。
ムハンマドが"Je suis Charlie"と書かれた例のプラカードを掲げている。
その上に、「誰もが許される」と書いてある。

この雑誌の上から目線体質を治す薬はない。
それでも大衆は"Je suis Charlie"を再び掲げるのだろうか。