2019年9月2日

あやふやな環境理論に翻弄されるブラジル

誰でも環境の良いところに住みたい、少なくとも自分の住んでいる土地は清浄な環境であってほしい、と願うのは当然である。
その意味では環境問題はローカルである。
今住んでいる町が下水垂れ流し、ごみ収集処理なしで不満だったら、隣町に引っ越しすれば良い。

しかし空気や水は隣町とつながっている。
国際河川だったら数カ国とつながっていることになる。
上流にある国が無責任に水資源を無駄にすると、下流にある国が困る。
中国のPM2.5は、朝鮮半島や日本列島に届くのだろうか?

今にわかに全世界が心配する格好になったブラジルのアマゾニア、あるいは南アメリカの数カ国に渡るアマゾニアが、どうして地球の肺だとか、酸素の源だとか言われるのか。

動物は呼吸によって酸素を取り込んで、生命活動に使うエネルギーを発生する過程で二酸化炭素を排出すると習った。
よろしい、一方的な酸素消費者である。

さて植物は、二酸化炭素を光合成によって炭素源としてエネルギーのもとになる物質を合成して、余剰の酸素を放出する。
しかし植物も生物であって、動物と同じように、酸素を取り入れてデンプンなどを分解してエネルギーを取り出す呼吸によって、二酸化炭素を放出する。
明るい昼間に酸素を生成しても、夜中にそれを消費するのだったら、差引勘定したら酸素量は大したことないのではないか。

もしもアマゾン地方の森林が世界の40%の酸素を供給しているというのなら、アマゾン地方の空気は、動物がたくさんいる地方、例えば大都市と比較して、酸素濃度が非常に高く、それだけ植物が繁茂しているのだったら二酸化炭素濃度などゼロに近くなって当然ではないか?
そして、アマゾン地方で生成された酸素に、例えば放射性マーカーで印をつけて追跡すると、酸素の消費地まで流れていくことが証明されてこそ、アマゾン地方は地球最大の酸素供給地であると肯定できるのではないか?

環境問題でもやもやとした疑惑が収まらないのは、地球温暖化のように過去に誰もやったことのない予測を、方法も前提条件も確立されていない仮定に基づいて積み重ねて行うので、結局時間が立ってその時が来るまで、予測が当たっているかどうかわからないことを、真実であるごとく論じているからだと思う。

そんなことを考えていて検索してみたら、
アマゾンは「地球の肺」ではない。森林火災にどう向き合うべきか
という記事で田中淳夫氏が説明している。
簡単に言えば、成熟した森林では、植物が腐食するときの菌類の活動を考慮に入れるのだから、森林を全体で見ると、酸素も二酸化炭素も出さない・吸収しないというのだ。

そうであるならば、先ごろのG7で話題になったように、諸外国がアマゾンは「地球の肺」だから、全世界が口を出す権利があるというのはおかしな話だ。

ブラジル自国の法律すら破って、自己の利益のためだけに伐採火入れを行う輩は、懲罰を受けなければならないのは自明だが、筋の通らない理屈で難癖をつけて、挙げ句の果てにブラジルのような環境破壊に熱心な国からは、肉や皮革を輸入するわけにはいかない、という制裁に脅かされるのは理不尽だとブラジルが感じるのは当然ではないだろうか。