2014年8月30日

ブラジルではTOEFL 660点もらくらく

少し調子の良すぎるタイトルで始まるこの記事は、最初に断っておくが、息子の自慢話ではない。
親馬鹿の鼻持ちならない記事にみえるかもしれないが、純粋に英語学習環境について考えようとした結果である。

ブラジルの連邦大学の一つに学ぶ工学部の学生の息子が、大学でTOEFL ITPの試験を受けた。
TOEFL ITPとは、ETSという団体が運営する、英語圏の学校へ留学を希望する学生の英語力を測る試験であるTOEFLの一種で、教育機関や企業など団体がその構成員つまり学生や従業員などにまとめて受けてもらう試験だという。
TOEFL PBTの過去問を利用しているので、初見で挑めば難易度は同じはずである。

TOEFL ITP Score Reportという成績表を見た。
トータルスコア663点とプリントしてある。



調べてみると、677点が満点であるから、高得点であることは間違いない。
TOEFLのサイトを見ると、Common European Framework of Reference for Languagesという基準でC1, Proficient User — Effective Operational Proficiencyとなっている。
巷の換算表を見ると、英検1級、TOEIC Aレベル860-990点、国連英検A級以上に相当するようである。

正直な話、息子がどんなふうに英語を習っているかはあまり注意してみたことはなかったので、生まれて初めて受けた公的な英語試験で一気に最高クラスの点を取れるものだろうか。
そこで、はるか昔に中学生の時に英検3級を取って以来、公的な英語検定を受けたことのない親つまり私が、二世代間の英語学習環境の違いを考えてみた。
この比較では、二つの独立要因、次の表の1-時代と2-国があって、これは分離できないが、公式な分析ではないから仕方がない。

項目親の環境子の環境
1 時代昭和平成
2 国日本ブラジル
3 母語日本語ポルトガル語
4 学校での英語履修中学・高等学校の6年間基礎教育5-8年、中等教育1-2年の計6年間
5 学校外での英語履修英語塾・英語教室・受験予備校英語塾・英語教室・受験予備校
6 音声学習教材テープ・レコード・ラジオCD, DVD
7 学習機器テープレコーダー・ラジオパソコン
8 副教材英語の本を購入か借用インターネットからダウンロード
9 教材以外の英語音声洋楽のレコード、CD、洋画のビデオを買うか借りるインターネットからダウンロード・再生

1 時代について
昭和といっても長いが、1970年台と言い換えても良い。
もちろんブラジルには年号はないのだが、2000年代後半から現在に至るくらいの期間、英語の勉強をしている。

2 国について
生まれ育ち英語を学んだ土地がどこであるか、である。

3 母語について
母語が何であるかは、英語学習において極めて影響が大きい。
これを今読んでいる人は、日本語が母語である可能性大だから、日本語の発音特性についてはよくお分かりだろう。
ポルトガル語であるが、簡単に言ってしまうと、lとrの区別がある、bとvの区別がある、cとsの区別がある、d, g, j, zの区別がある、そんなところだろうか。
これらポルトガル語子音の体系は、英語のリスニングを容易にしてくれると思われる。
英語のthにあたる子音はポルトガル語にはないが、日本語話者が苦手とするlとrを難なく区別できるのは大きい。
ポルトガル語はインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派、英語は同語族のゲルマン語派ということで、まずまず近縁な言語といえる。
英語の文法はポルトガル語より単純であり、読み方・綴りは違っても両言語で似た単語は非常に多い。

4 学校での英語履修について
公立学校での英語の履修年数が同じ6年間というのは、なんとなく感じていた予想に反していておもしろい。
日本の学校教育における英語への入れ込みと対比して、ブラジルの英語履修年数はもっと少ないような気がしていたからだ。

5 学校外での英語履修について
学校外で英語履修ができる場所といえば、時代と国を超えて英語教室が栄えている。

6 音声学習教材と7 学習機器について
繰り返して聞きたいとき、テープでも少しだけ巻き戻せるが、もっと飛ばして前のポイントにアクセスをするときなど、テープとCDではその操作性の違いは大きい。
ブラジルでもテレビの教育番組はあるのだが、日本の放送の大きな特色としてかなり多数の言語に〇〇語教室があって、印刷テキストも出ていた(いる)ことは特筆ものである。

8 副教材と9 教材以外の英語音声について
これについては、国の違いより時代の違いが大きな要因である。
つまり、図書館では継続して借用できないので、本やレコードを購入するしかなかった昔と、たいていのものはダウンロードやストリーミングで無尽蔵に近く手に入る現在との差は絶大である。

以上は日本育ちの親とブラジル育ちの子の英語学習環境の違いである。
ブラジルでは、子供を放っておいても英語ができるようのなるのかと、読者は早とちりされるかもしれないので、息子の英語学習の個人的要因を書いておこう。

ブラジル公立校の英語教育に一抹の不安を持っていた親は、いつか子供を英語教室に行かせようと思っていた。
無理やり英語教室へ通わせるのは効果がなさそうに思えたので、子供が自発的に興味を持ってくれるのを待った。
12歳のころ、ゲームをやるのに英語が必要だとの訴えで、動機としてはあまりまともに思えないがまあよかろう、好きなことに絡めて興味を持ってくれて幸いだ、と英語教室に入れた。

親は何を思ったか自分が小学生の時に、英語教室へ通い始めたのであるが、家から遠かったので何ヶ月かでやめてしまった。
そこでもちろん数十年前の親自身の挫折を反省して、すぐに歩いていける距離のところにした。
1時間授業週2回であり、日本の学校の英語授業週間コマ数と比較して少ないように思えたのだが、結局4年間通ってIntermediateを経てAdvancedまで進んだ。
英語教室の授業料として4年間に4千5百レアル支払ったのが唯一の教育費用(書籍学用品費を除く)だった。

ここで重要な環境の違いを指摘したい。
日本は周知の通り、ゲーム機やパソコンのゲームの一大生産地であり、そのために日本語で遊べるゲームがふんだんにあるから、あえて英語のゲームを求める必要などない。
ブラジルは今日でこそスマートフォンなどで遊べるゲームが量産されているが、当時は国産の、つまりポルトガル語原語のゲームなどほとんどなかった。
そのため子供がゲームをするために英語を習得したいという、非常に強い動機を形成することができたといえる。

英語への興味は衰えず、ゲームより広範に渡っていった。
その一つがロックである。
ポルトガル語で歌うブラジルのバンドにはあまり興味を示さず、ロックといえば英語ということで、ギター弾きと両翼でインターネットを探求していった。

大学へはいってからは、数学・物理・専門科目のテキストをインターネットに求めると、必然的に英語の文献にたどりつく。
合法か違法かは判断できないが、ずいぶん専門文献をダウンロードしているようである。
最近、講義を公開している欧米の有力大学が増えてきている。
彼は英語で話される講義をよくパソコンで聞いている。

ここでも先のゲームに似た環境の特異性がみられる。
自国語ポルトガル語で満足できるコンテンツが少ないので、インターネットで容易に入手できる英語の講義を聞くことになる。

忘れてはならないのが、ビデオコンテンツである。
日本制作のアニメなどは、日本語会話に英語字幕がついたものなどが出回っている。

こうしてみるとブラジルで母語コンテンツが少ない環境のため、必然的に英語コンテンツに親しむようになったことが彼の英語上達に役立った。
まあぼんやりインターネットでさまよっているだけでは、英語の上達も覚束なかったと思われ、興味を継続することがいかに大切かわかる。

結論に進もう。

現代ブラジルの、インターネットのある環境は、子供の英語教育に最適な場所である。
ポルトガル語の発音体系が日本語のものより、英語のリスニング・スピーキングに有利である。
ポルトガル語コンテンツがあまり充実していない状況で、英語コンテンツを必然的に求めるようになる。

英語を学ぶなら英語を話す国、というのは当然の結論であるが、それが唯一の道であるわけではないのだ。

最後に息子の言葉を、
Graças a internet = 「(好成績は)インターネットのおかげ」

2014年8月15日

航空機事故と大統領選挙

久しぶりのブログエントリーが、航空機事故であるのは悲しいことだ。

2014年のブラジルで、ワールドカップの次の山といえば、10月の総選挙である。
投票は任意でなく、ブラジル国民の義務である。
だから誰もが投票で意思表示をしなければならない。

注目の中心は、なんといっても共和国大統領選挙である。
ブラジル連邦共和国大統領は、国民の直接選挙で選ばれる。
アメリカ合衆国のような複雑なしくみの選挙ではない。
ブラジル全土で過半数をとった候補者が大統領になるというだけだ。
非常に単純である。

大統領選挙と言っても、大統領と副大統領はセットになって(chapa シャパ=候補者団)、別々に選ぶのではない。
その点はアメリカ合衆国と同様だ。
その大統領選挙レースの現在まで、いや昨日までのポジションは、
  1. Dilma Rousseff (PT 労働者党)現職共和国大統領 40%台
  2. Aécio Neves (PSDB ブラジル民主社会党) 上院議員 30%台
  3. Eduardo Campos (PSB ブラジル社会党) ペルナンブコ州知事 20%台
  4. 以下まだ数名いるが略す
得票率は非常に大雑把な数字で書いてある。
一次投票で過半数を得る候補者がいない場合には、上位二者で決選投票が行われる。

一昨日火曜日の夜8時半のニュースで、大統領候補者インタビューがあって、3位につけているエドワルド・カンポス候補者の日だった。
彼はブラジルの北東地方(nordeste)の有力州ペルナンブコ州(Pernambuco 略称PE)の州知事で、支持率実に80%を誇る、評判の良い政治家であった。
ペルナンブコ州レシフェといえば、6月のワールドカップで、コートジボワールとの日本の初戦があった州都である。
ペルナンブコ州や北東地方ではよく知られた人気政治家であっても、南東地方(sudeste)をはじめとする他の地方での知名度は今ひとつであるのが、3位に留まっていた理由の一つであろう。

選挙に容姿を持ち出すのは良いか悪いかはともかく、大統領となれば貫禄というか、やはり格好良いほうが国際会議など列国代表が一列に並んで記念撮影というような場面で注目を集めるから、邪道と言うかも知れないがけっこう役に立つ特質と言ってよいだろう。
その点エドワルド・カンポス氏はほんの少し太めではあるが、申し分ない好男子であり、わが妻などこれまで名前すら知らなかったのが、インタビューの好印象もありいっぺんに気に入ったようだった。
夫人は美人で、晩餐会に出たら夫妻ともども容姿が映えると思われた。

ここまでエドワルド・カンポス氏についての記述が全部過去形になってしまうのは、昨日の航空機事故のためだ。

昨日、2014年8月13日10時ころ、リオデジャネイロからサンパウロ州の港町サントスのサントス空軍基地-46.298889,-23.929167,0へチャーター機で移動中のエドワルド・カンポス候補者、秘書2名、カメラマン2名(スチルカメラとビデオカメラ - 前者のカメラマンはfotógrafo、後者のカメラマンはcinegrafistaとポルトガル語で呼ぶ)、操縦士及び副操縦士合計7名を載せたセスナ機(Cessna 560 XL)は、悪天候のために着陸せず滑走路上空を再上昇して左転回した後に、住宅・商業地域に墜落、爆発した。
墜落する前にすでに火を吹いていたという複数の証言がある。
搭乗していた7名は即死、地上にいた人は10人ほどけがをした。
地上の人に重傷者はいないようである。

事故発生2時間後までは情報が錯綜して、死者については未確認で、搭乗者が救急車で運ばれているという楽観的な印象だったが、その後搭乗者全員死亡が確認されてからは一気に重大さが増した。

情報がスムーズに出てこない事故直後には、頭のおかしな自称証人が出てきた。
あるニュースにインタビューされた証人は、estivadorと称したから沖仲士、「爆音を聞きつけて私の建物から出て駆けつけた」というので、港町だから沖仲士の建物があるのか、地図では港から少し離れているようだが、と思ったが、まあここまではよかった。
「現場につくと直にエドワルド・カンポスをみつけたがもう事切れていた、まぶたを開けたらあの緑色の目が見えたから間違いない」というくだりで、これはおかしいぞ、と感じたら、レポーターもおかしいと思ったのか、あるいはディレクターが差し止めたのかは分からないが、すぐにその証人のほら話は切り上げられた。
ネルソン・マンデラの葬儀のめちゃくちゃな手話通訳を思い出してしまった。
出たがり・目立ちたがりの病気なのだろう。

その後、墜落・爆発は非常に凄まじかったと報道されている。
報道サイトg1.globo.comで中心地とされている地点は、-46.32643709169344,-23.95924228840778,0であり、Google Earthをみると建物が密集している地域である。
爆発のためだろう、深さ3mの大穴が地面に開いたという。
機体の破片や遺品がみつかるのが15軒ほどの地域にわたり、連邦警察の鑑識官、空軍や民間航空の事故の専門家50名余りが消防と共に現場に入り、機体や遺品を収集しているが、搭乗者の遺体は散乱して身元確認が困難で、現地に向かった候補者のかかりつけ歯医者による従来法の鑑定だけでなく、結局親族のDNA鑑定を使うという。
ブラックボックスは回収され、ブラジリアで解析に回される。

Dilma共和国大統領は3日間の喪を宣言し、選挙運動は一時中断されて、他の候補者もサンパウロに向かった。
通夜と葬儀は候補者の地元レシフェで行われるというが、まだ遺体の収容と身元確認に手間取っている異常な状態が続いている。

副大統領候補のMarina Silva氏(この人は女性)も、エドワルド・カンポス氏と共に政治集会に参加するために、サントスへ移動する必要があった。
当初エドワルドと同じチャーター機で移動する予定もあったのだが、実際は通常の商用便を利用したので今回の難を免れることができた。

アメリカ合衆国の大統領と副大統領は、出発地と目的地が同一であっても決して同じ便を利用しないと聞いたことがある。
不慮の事故やテロに備えた危機管理である。
今回のブラジルの事故であるが、まだ大統領候補者の段階だったので、そこまでの厳密さは誰も求めなかったのだろう。

簡単にブラジルの大統領選挙のゆくえを見よう。
日本の選挙管理委員会にあたる組織はブラジルでは選挙裁判所(Justiça Eleitoral)であるが、エドワルド・カンポスの属するPSBを中心とする政党団(coligação)は、候補者死亡のため別の候補者団を結成するのに10日の猶予を与える、という決定をした。

  1. 副大統領候補であるマリナ・シルバ氏を大統領候補として、組になる副大統領候補を選定する
  2. 副大統領候補であるマリナ・シルバ氏はそのままに副大統領候補にとどめて、組になる大統領候補を選定する
  3. 立候補を断念する

ニュースでは以上の3つの選択があると言っていた。
PSBを中心とする政党団は8つほど独立政党が集まっているが、政党団の合意によればどの党も候補を出せるという。
マリナ・シルバが立候補を断念して、全く新たな大統領候補・副大統領候補を出すというオプションもあるのかもしれないが、触れられなかった。

実はブラジルの全国的知名度では、エドワルド・カンポス氏より、マリナ・シルバ氏のほうがずっと高いのだ。
彼女はDilma共和国大統領の前任であり同じく労働者党のLula大統領時代に環境大臣を経験しており、メディアでの露出度は非常に高く、言動が注目される存在だった。
しかも、前回の大統領選挙ではルラやジルマと決別して立候補して、決選投票には進めなかったものの、20%位も得票した。

しかし、マリナ・シルバ氏の知名度を活かした候補者団にすんなり決まるかどうかは未知数である。
マリナ・シルバ氏本人が立候補継続意思発表をしていないことがまずひとつである。
マリナ・シルバ氏は、今回のエドワルド・カンポス氏とのペアを組むに当たり、昨年11月にPSBに入党したばかりの、いわば党では新参者である。
外様のマリナ・シルバ氏の大統領候補者への昇格をよく思わない、うるさい古株にあたるような勢力がPSB内部にあるかどうかは知らないが、撹乱要因ではある。

とにかく、日本だと、「弔い合戦」という言葉が使われる状況である。
選挙の行方がますます予知不能な局面にはいった。

エドワルド・カンポス氏は1965年8月10日生まれ、4日前の日曜日は父の日で、家族に誕生日と父の日を同時に祝ってもらったばかりである。
その日に49歳になったばかりで、頂点に立とうという政治家としては若い。
9年前の8月13日には、同じくペルナンブコ州知事であった彼の祖父が死去している。

最後に事故の被害者とその家族にはお悔やみ申し上げる。