4回に分けて書こうとした、ルラ元大統領の収監であるが、5回に伸びた最終回である。
あえてここで幻となる可能性の多いルラ大統領候補に個人的期待する理由を書いてみよう。
ルラ元大統領は検察と裁判所を目の敵にする。
本心はともかく、演説ではそう言っている。
議員は選挙第一である。
何もかも選挙至上であるから、その資金集めにはことのほか熱心になる。
汚職にまみれやすい。
選挙に落ちたらただの人どころか、借金を抱えたらただの人以下になる。
それでも落ちた人を救う互助会のような仕組みが政党にはあるようだ。
政治家になるのに必要な素質は何か。
学歴や試験ではない。
政党への貢献と党内外の人望と、演説術や説得術のような選挙能力と、献金を集める集金力だろうか。
ブラジルの立法府の最高の地位は上下院議長である。
下院議長 Rodrigo Maia、上院議長 Eunício Oliveira
大統領は権力と注目が集中するが、これも選挙次第なので議員と似たようなものだ。
行政の実行者である公務員はどうか。
立法府と司法府にも行政府よりずっと数は少ないが、公務員がいて、待遇は行政府より良いようだ。
キャリアの公務員になるには公務員試験があって、職種によって特定の学位が求められ、競争はきわめて激しい。
なるのは難しいが、一度なったらよほどのことがない限り首にならない。
日本とは違う意味でのノンキャリア公務員は、政治任命であって、試験に受かる必要はないが、政権党に功績があって党に尽くすことが求められる。
これがまた汚職の種になったりする。
選挙で負けたなどの理由で所属党が政権から離れたら、当然すぐクビになる。
行政府の長はもちろん共和国大統領である。
共和国大統領 Michel Temer
司法府である。
判事という職業の、この権力の一員になるのは、多分一番困難だろう。
法学を修めなければならないが、法学出身者である弁護士は無数にいるのだが、裁判官任用試験は普通の公務員試験よりずっと難しそうだ。
公務員の中でも無数の法律と判例を頭に叩き込む職業的知識と倫理を一番要求される職種であり、その職務行使を保証するために最も強力な身分保障が与えられ、汚職防止のためだろうか、給料も良い。
判事をやめさせることができるのは、現行犯のような犯罪の場合を除けば、同じ判事から構成される司法評議会の審査だけだったと思う。
ブラジルならではだが、判決の逆恨みから自衛しろと言うのだろうか、使うか使わないかはともかく武器の携帯まで認められている。
司法府の最高位は連邦最高裁判所長官である。
最高裁判所長官 Cármen Lúcia
職業上の法律判断の厳しさは当然良いこととして、対外的には慎重で誠実そうな印象を与える判事という職業であるが、仲間意識は相当強烈である。
かなり前になるが、パラナ州のある新聞が判事の高給を批判して記事にしたことがあったが、州内の判事が次々に新聞や記者を名誉毀損か何かで訴える嫌がらせに出て、記者はあちこちの町の裁判所に出廷させられて仕事にならなかった、という判事の復讐の話を聞いたことがある。
判事とはそんな人種であるから、社会保障改革で公務員の特権に手を付けるようなことになると、一番反抗しそうな厄介な存在になると思う。
法律を盾に取ることが得意技であるから、既得権利の剥奪など至難の業だ。
法律を改正する権限は立法府だが、合憲性裁判によって無効にされる恐れもある。
そこで憲法改正であるが、議会の三分の二の賛成が必要である。
議会がまとまらなければできない。
だからこの特権階級に正面から闘っていける存在として、議会をまとめることができたならという条件は付くが、司法に恨みつらみのあるルラ元大統領がもってこいである。
労働者党は、ルラが超カリスマを持っている分、大統領候補になりうる他の人材が見当たらない。
ジルマ前大統領も悪くはなかったけれど、党内掌握は今ひとつだったし、現党首のGleisi Hoffmann上院議員は容姿はいいのだけど頼りなさげな上に、この人も起訴された被告である。
エースに頼って優勝したが、若手育成を怠って沈んでいくチームのようだ。
労働者党の候補者不在は、右派中道で候補者がひしめく状態と全く対照的である。
現実に労働者党は、ルラが立候補できないときのBプランを、少なくとも表向きに示さず、格子の向こうにいて家族と弁護士としか面会が許されないルラをなんとしても候補者に担ぎたい。
先週の土曜日に連邦警察に収監されるため赴く前に、自分の原点の場所サンパウロ大都市圏ABC金属労組本部で行った最後の演説は、「昔の労組リーダーだった頃のルラ」を彷彿とさせるようで、かなり強い口調で自分を起訴した検察や自分を有罪にして人身保護も認めなかった裁判所を非難した。
40分位あったという演説を全部聞いたわけではないが、印象に残る格好良い言葉を発した。
「私は今生身の人間ではなく、イデアである」。
というわけで、ルラが立候補できて社会保障改革で公務員勢力と戦わねばならないと観念したら、非常に面白い展開になると期待している。
でも、やはりその不都合な未来を予見した判事たちは何としてもルラを牢屋に留めておいて、被選挙権を断固として認めない手に出るんだろうなと予想する。
2018年4月14日
2018年4月13日
名大統領になりそこねた囚人
ブラジル大統領の系譜を現在のTemerテメル大統領から三代遡ると、34代Fernando Henrique Cardoso、通称FHC [1995-2002 2期8年]、35代がLuiz Inácio Lula da Silva、通称ルラ[2003-2010 2期8年]、そして36代Dilma Rousseff、通称ジルマ[2011-2016年8月 1期と20か月]である。
この3代の大統領を比較すると、いつも感じることだった。
FHCが宴の準備を整えて、
ルラが宴会を楽しんで、
ジルマが片付けをさせられる。
経済政策も労働党の統制も手に余る苦境だったと思うが、良い政策もあった、気の毒なジルマさん。
FHCの功績はそれまでの何代もの大統領がなし得なかった、インフレ撲滅という大仕事を成し遂げたことである。
経済が安定したから、資産防衛や財テクではなく本業に専念できるようになって、各産業の本当の繁栄を期待できるようになった。
税収が上がって政策の選択肢が増える。
ルラが大統領に就任したときは、このように経済の基盤は前任者がきちんと整備しておいてくれて、その果実を味わうだけでよかった。
市中金利こそ高かったもののインフレも落ち着いて、国自体の信用が高まると外国からの投資は増大して、中国は鉱物資源や農産物を主とするブラジルの輸出を牽引してくれて、国内の企業は潤って労働者の給料も上がって、景気が極めて良かった。
社会保障会計の急激な悪化の問題はまだ顕在化する直前であった。
経済の内外状況が良かったから、財源を心配すること無く、悪く言えばバラマキ、よく評価すると所得再分配政策を行ったので、特にそれを受け取る民衆での大統領人気は高かったし、現在も高い。
外交にも困難な問題はなく、ルラ大統領がG20のような会議で外遊に出ると、支持率の高さをオバマ大統領はじめ他国の大統領や首相から羨ましがられる、彼にとっては楽しい訪問であったことだろう。
国内外に問題を抱えていたのだったら、記者会見で突っ込まれたときの言い訳をいつも考え続けなければならない苦しい旅行で、息抜きなどできなかっただろう。
ルラが大統領になったらどんなに社会が変動するのかと懐疑の目でみていた中流階級も、好調な経済を目にして、ルラも心配するどころでなくなかなか良くやるじゃないか、と考えを変えた。
もっとも、経済がうまく回っているときは、財務大臣が誰でどんな政策をとっても、文句を言う社会層はごく少なく、誰が大統領をやっても、楽な政権運営だった。
その上に、これまで反政府運動に精を出してきた労働組合や土地なし・家なし運動のような農地・社会改革推進勢力は味方であるから、仕事は楽をしながら、高い人気を保つことが可能だったこの時代に大統領を奉職できたルラは、条件に恵まれた幸せな大統領であった。
だからこそ問うのだが、何をやるにも抵抗が少ない頂点の時期に、将来起きうる問題の解決に手を付けなかったのだろうか。
社会保障改革、政治改革、税制改革である。
ブラジルも世界の趨勢に遅れず、少子化と人口の老年化が進んできて、ブラジル人の寿命が今よりずっと短かった時代の古い年金制度を続ける限り、破綻は時間の問題である。
日本も官尊民卑のようであるが、ブラジルは特に公務員と私企業や自営業のような民間の年金制度の待遇の差が大きく、詳しい数字は上げないが民間と比べて少数の公務員年金会計はその構成員数に比較して相対的な赤字が莫大である。
人気のない社会保障改革を行うためには、まず民間と比較して公務員の年金制度が持つ特権を全部なくして金食い体質を正して、公共と民間の差を完全に埋めてから初めて民間に手を付けるようにして、社会の不公平をなくすことから手をつけたいと、道筋を国民に説明して理解してもらうようにすれば、当の公務員を除けば民間部門からの抵抗は皆無に近くなるのではないか。
ブラジルの雇用全体に占める公務員の割合は12.1%で、OECD平均の21.3%よりかなり低い(2013年)。
民間が結束すれば公務員のわがままは押さえられそうだと思うのだが、そうもいかないようだ。
どの国でもたいてい公務員の労働組合は団結力が強い。
ルラの支持基盤の柱の労働組合の中でも、公務員の労働組合は勢力を占める。
政府の手足である公務員を敵に回したら行政の何もかもが回らなくなる。
だからルラにとって、公務員労働組合を労働組合連合体から切り離して、労組の世界内部で対立を煽るような政策にはとても踏み込めず、将来を見据えたブラジルを救う大改革に踏み込む先見と決意がみられなかった。
一見、右派は資本家とズブズブだから金にまみれて汚く、左派は労働者の清い力に支えられるからクリーンだと前世紀に引きずられたイメージがあるのだが、そうでないことは労働党政府を見れば一目瞭然で、結局労働党もこれまでの政府と同様に賄賂献金大歓迎であった。
当選したらまずするのは相も変わらず同じこと。
ブラジルで「右派は右手で盗む、左派は左手で盗む、中道は両手で盗む」と言われている戯れ言は本当であることを証明してくれた労働党政権であった。
この3代の大統領を比較すると、いつも感じることだった。
FHCが宴の準備を整えて、
ルラが宴会を楽しんで、
ジルマが片付けをさせられる。
経済政策も労働党の統制も手に余る苦境だったと思うが、良い政策もあった、気の毒なジルマさん。
FHCの功績はそれまでの何代もの大統領がなし得なかった、インフレ撲滅という大仕事を成し遂げたことである。
経済が安定したから、資産防衛や財テクではなく本業に専念できるようになって、各産業の本当の繁栄を期待できるようになった。
税収が上がって政策の選択肢が増える。
ルラが大統領に就任したときは、このように経済の基盤は前任者がきちんと整備しておいてくれて、その果実を味わうだけでよかった。
市中金利こそ高かったもののインフレも落ち着いて、国自体の信用が高まると外国からの投資は増大して、中国は鉱物資源や農産物を主とするブラジルの輸出を牽引してくれて、国内の企業は潤って労働者の給料も上がって、景気が極めて良かった。
社会保障会計の急激な悪化の問題はまだ顕在化する直前であった。
経済の内外状況が良かったから、財源を心配すること無く、悪く言えばバラマキ、よく評価すると所得再分配政策を行ったので、特にそれを受け取る民衆での大統領人気は高かったし、現在も高い。
外交にも困難な問題はなく、ルラ大統領がG20のような会議で外遊に出ると、支持率の高さをオバマ大統領はじめ他国の大統領や首相から羨ましがられる、彼にとっては楽しい訪問であったことだろう。
国内外に問題を抱えていたのだったら、記者会見で突っ込まれたときの言い訳をいつも考え続けなければならない苦しい旅行で、息抜きなどできなかっただろう。
ルラが大統領になったらどんなに社会が変動するのかと懐疑の目でみていた中流階級も、好調な経済を目にして、ルラも心配するどころでなくなかなか良くやるじゃないか、と考えを変えた。
もっとも、経済がうまく回っているときは、財務大臣が誰でどんな政策をとっても、文句を言う社会層はごく少なく、誰が大統領をやっても、楽な政権運営だった。
その上に、これまで反政府運動に精を出してきた労働組合や土地なし・家なし運動のような農地・社会改革推進勢力は味方であるから、仕事は楽をしながら、高い人気を保つことが可能だったこの時代に大統領を奉職できたルラは、条件に恵まれた幸せな大統領であった。
だからこそ問うのだが、何をやるにも抵抗が少ない頂点の時期に、将来起きうる問題の解決に手を付けなかったのだろうか。
社会保障改革、政治改革、税制改革である。
ブラジルも世界の趨勢に遅れず、少子化と人口の老年化が進んできて、ブラジル人の寿命が今よりずっと短かった時代の古い年金制度を続ける限り、破綻は時間の問題である。
日本も官尊民卑のようであるが、ブラジルは特に公務員と私企業や自営業のような民間の年金制度の待遇の差が大きく、詳しい数字は上げないが民間と比べて少数の公務員年金会計はその構成員数に比較して相対的な赤字が莫大である。
人気のない社会保障改革を行うためには、まず民間と比較して公務員の年金制度が持つ特権を全部なくして金食い体質を正して、公共と民間の差を完全に埋めてから初めて民間に手を付けるようにして、社会の不公平をなくすことから手をつけたいと、道筋を国民に説明して理解してもらうようにすれば、当の公務員を除けば民間部門からの抵抗は皆無に近くなるのではないか。
ブラジルの雇用全体に占める公務員の割合は12.1%で、OECD平均の21.3%よりかなり低い(2013年)。
民間が結束すれば公務員のわがままは押さえられそうだと思うのだが、そうもいかないようだ。
どの国でもたいてい公務員の労働組合は団結力が強い。
ルラの支持基盤の柱の労働組合の中でも、公務員の労働組合は勢力を占める。
政府の手足である公務員を敵に回したら行政の何もかもが回らなくなる。
だからルラにとって、公務員労働組合を労働組合連合体から切り離して、労組の世界内部で対立を煽るような政策にはとても踏み込めず、将来を見据えたブラジルを救う大改革に踏み込む先見と決意がみられなかった。
一見、右派は資本家とズブズブだから金にまみれて汚く、左派は労働者の清い力に支えられるからクリーンだと前世紀に引きずられたイメージがあるのだが、そうでないことは労働党政府を見れば一目瞭然で、結局労働党もこれまでの政府と同様に賄賂献金大歓迎であった。
当選したらまずするのは相も変わらず同じこと。
ブラジルで「右派は右手で盗む、左派は左手で盗む、中道は両手で盗む」と言われている戯れ言は本当であることを証明してくれた労働党政権であった。
2018年4月12日
赤信号皆で渡れば青信号
これまで何十人も企業の責任者と政治家が起訴されたり有罪判決を受けたりしているのだが、企業家は司法取引で贈賄の罪を認めても、収賄の罪を認める政治家は一人もいない。
なぜブラジルの政治家は潔くないのか?
国民性とか政治家の資質とかの主観的な見方から離れて説明を試みる。
贈賄側と収賄側の非対称性がある。
贈賄する側は明言、暗示の違いはあるかもしれないが、政府資金入手や優遇税制や入札指名や許認可などの政治的便宜を求めて、政治献金をする。
何らかの見返りを求めて、意図と作為がはっきりしているから、言い逃れしにくい。
一方収賄側は、選挙のために献金を受け入れていると言う建前を貫けば十分で、献金を受け取っても便宜を図ったわけでないから全く悪くないと言い張ることが可能だ。
政治献金は選挙裁判所(選挙管理委員会に相当)に届けて政治資金の会計に異常がないと承認されれば合法である。
この「選挙裁判所に届け出て承認された」というのをどの政党も政治家も錦の御旗として、「わが党が受け取ったすべての献金は選挙裁判所によって承認されている」点を強調して、「司法取引を受け入れた贈賄者の自供は罰を軽減して欲しさの作り話」、とか「政敵による汚い政治的迫害の捏造」とか言い張る根拠としている。
金を受け取ったのは確かだが、ちゃんと申告して承認されているではないか、という言い分である。
要するに受け取った金は、自分個人が私腹を肥やすためでなくて、自分の所属政党がブラジルを良くするためには選挙に勝たなければ、そのための清い資金だ、と考える。
資金集めにはいろいろな苦労はつきものだから、頑張ってこれだけの金を一人で手に入れた自分は1割(2割、3割かもしれないが)ぐらいの褒美をもらえる価値は、党も認めてくれるだろう。
どの政党もどの候補者も皆やっていることでないか。
これは赤信号ではないぞ、皆やっていることだから青信号と一緒だぞ。
確かに出処の不審な金も一旦洗浄されれば、危ないとか安全とか色はついていないから、自分や家族の贅沢に使ってしまっても、選挙資金になったとしても、入っている財布が同じだったら区別するのは難しい。
名義を借りてペーパーカンパニーを作って、その会社に選挙マーケティングやコンサルタントや法律顧問をやってもらう形にすれば金の行く先も怪しまれない。
献金された選挙運動資金のうまみは実際のところ、仮に百万の献金を受け取ったら、90万は選挙運動に使うが、10万は自分の懐に入れてしまっても外部からは追跡できない、という点であると思う。
莫大な金額が献金されるから、一部をくすねるだけでも全く苦労せずに大層な金額を手にすることができる。
しかしさすがに資金が国境を超えてタックスヘイブンの口座にあるのはまずいのではないか。
不審な国外口座からのブラジル国庫への資金返還repatriaçãoのニュースはかなり多い。
選挙に金がかかる、これは事実である。
政党の右も左も区別ない。
だから政敵が起訴され有罪になったといっても、うかつに喜んでばかりはいられない。
都合のいいところで自分の足元に火が回らないうちに、捜査の対象を広げるのは止めにして、このあたりで幕を引いてもらいたいと、どの政党も考えることであろう。
大して重大な責任問題もないのに立法府によって罷免された、ルラ元大統領の秘蔵っ子、不運が重なった前ジルマ大統領の副大統領で、昇格して大統領になったテメル現大統領の立場がまさにその通りだろう。
労働者党シンパがクーデターで政権をとったと誹謗する事件であった。
実際にテメル大統領のMDB(ついこの前までPMDB)は昨年中頃定年になるRodrigo Janot検事総長の後任にRaquel Dodge氏を指名して、その恩で捜査の手を緩めさせようとしたと思われるのだが、ラケル検事総長は予想外に職務に頑張っていて、テメル大統領の友人たちを捜査しているので、MDBは苦り切っていることと思う。
だからどの政党が政権を取ることになっても自分たちの懐具合に直接影響することだから、本当は誰も本気で取り組みたくない。
現在の政治献金の制度が続いていくのなら、贈賄側ばかり有罪になるのに収賄側が逃げ切れるという事態は全く改善されない。
どうすれば断ち切れるか、素人なりに考える。
誰が改革を行うのか?
行政府でも司法府でもなく、当然立法府である。
現在の「赤信号皆で渡れば青信号」をどの政党も続けたいと思っているのならいつまで経っても実現しない。
今年の10月は選挙であるが、牢屋に入ったルラ元大統領が投票意向調査で1位になるようなので、獄中から立候補できるのか、そうしたら中道右派は統一候補を出せるか、あるいは二次(決戦)投票で団結できるか、現政権の思惑通りに獄中で潰されるか、これからどうなっていくかが見ものである。
なぜブラジルの政治家は潔くないのか?
国民性とか政治家の資質とかの主観的な見方から離れて説明を試みる。
贈賄側と収賄側の非対称性がある。
贈賄する側は明言、暗示の違いはあるかもしれないが、政府資金入手や優遇税制や入札指名や許認可などの政治的便宜を求めて、政治献金をする。
何らかの見返りを求めて、意図と作為がはっきりしているから、言い逃れしにくい。
一方収賄側は、選挙のために献金を受け入れていると言う建前を貫けば十分で、献金を受け取っても便宜を図ったわけでないから全く悪くないと言い張ることが可能だ。
政治献金は選挙裁判所(選挙管理委員会に相当)に届けて政治資金の会計に異常がないと承認されれば合法である。
この「選挙裁判所に届け出て承認された」というのをどの政党も政治家も錦の御旗として、「わが党が受け取ったすべての献金は選挙裁判所によって承認されている」点を強調して、「司法取引を受け入れた贈賄者の自供は罰を軽減して欲しさの作り話」、とか「政敵による汚い政治的迫害の捏造」とか言い張る根拠としている。
金を受け取ったのは確かだが、ちゃんと申告して承認されているではないか、という言い分である。
要するに受け取った金は、自分個人が私腹を肥やすためでなくて、自分の所属政党がブラジルを良くするためには選挙に勝たなければ、そのための清い資金だ、と考える。
資金集めにはいろいろな苦労はつきものだから、頑張ってこれだけの金を一人で手に入れた自分は1割(2割、3割かもしれないが)ぐらいの褒美をもらえる価値は、党も認めてくれるだろう。
どの政党もどの候補者も皆やっていることでないか。
これは赤信号ではないぞ、皆やっていることだから青信号と一緒だぞ。
確かに出処の不審な金も一旦洗浄されれば、危ないとか安全とか色はついていないから、自分や家族の贅沢に使ってしまっても、選挙資金になったとしても、入っている財布が同じだったら区別するのは難しい。
名義を借りてペーパーカンパニーを作って、その会社に選挙マーケティングやコンサルタントや法律顧問をやってもらう形にすれば金の行く先も怪しまれない。
献金された選挙運動資金のうまみは実際のところ、仮に百万の献金を受け取ったら、90万は選挙運動に使うが、10万は自分の懐に入れてしまっても外部からは追跡できない、という点であると思う。
莫大な金額が献金されるから、一部をくすねるだけでも全く苦労せずに大層な金額を手にすることができる。
しかしさすがに資金が国境を超えてタックスヘイブンの口座にあるのはまずいのではないか。
不審な国外口座からのブラジル国庫への資金返還repatriaçãoのニュースはかなり多い。
選挙に金がかかる、これは事実である。
政党の右も左も区別ない。
だから政敵が起訴され有罪になったといっても、うかつに喜んでばかりはいられない。
都合のいいところで自分の足元に火が回らないうちに、捜査の対象を広げるのは止めにして、このあたりで幕を引いてもらいたいと、どの政党も考えることであろう。
大して重大な責任問題もないのに立法府によって罷免された、ルラ元大統領の秘蔵っ子、不運が重なった前ジルマ大統領の副大統領で、昇格して大統領になったテメル現大統領の立場がまさにその通りだろう。
労働者党シンパがクーデターで政権をとったと誹謗する事件であった。
実際にテメル大統領のMDB(ついこの前までPMDB)は昨年中頃定年になるRodrigo Janot検事総長の後任にRaquel Dodge氏を指名して、その恩で捜査の手を緩めさせようとしたと思われるのだが、ラケル検事総長は予想外に職務に頑張っていて、テメル大統領の友人たちを捜査しているので、MDBは苦り切っていることと思う。
だからどの政党が政権を取ることになっても自分たちの懐具合に直接影響することだから、本当は誰も本気で取り組みたくない。
現在の政治献金の制度が続いていくのなら、贈賄側ばかり有罪になるのに収賄側が逃げ切れるという事態は全く改善されない。
どうすれば断ち切れるか、素人なりに考える。
- 選挙運動をテレビ・ラジオの選挙公報プログラムだけに限り、公費で賄う。
- 選挙運動で金がかかる行為を禁止する。
- 政治献金を禁止して選挙運動費を全部政府が政党に交付してそれだけで賄う。
この考え方は政治改革案で選挙基金として提案されている。 - 政治献金を禁止したくないのなら、企業や個人の献金を一つの基金に集中して行い、それから各政党に分配する。
- これまでのような政党や候補者に宛てた政治献金を続けたいのなら、政党や候補者の特別なガラス張りの口座を立法制度化する。
誰が改革を行うのか?
行政府でも司法府でもなく、当然立法府である。
現在の「赤信号皆で渡れば青信号」をどの政党も続けたいと思っているのならいつまで経っても実現しない。
今年の10月は選挙であるが、牢屋に入ったルラ元大統領が投票意向調査で1位になるようなので、獄中から立候補できるのか、そうしたら中道右派は統一候補を出せるか、あるいは二次(決戦)投票で団結できるか、現政権の思惑通りに獄中で潰されるか、これからどうなっていくかが見ものである。
2018年4月10日
脆弱な「二審有罪確定で収監」判決
連邦最高裁判所が、二審有罪確定の段階で懲罰に服すべき司法判断をしたのはもちろんこれが初めてではなく、既に判例が出ているので、司法はそれに従って多くの政治家を収監してきた。
その判例は2016年の連邦最高裁大法廷の判断であり、その前の判断は2009年に遡るが、反対の判決が出ている。
面倒なので裏をとる確認はしないが、2009年の判断は、全ての上訴の道が尽くされてもうこれ以上裁判で争うことのできない、つまり本当の最終審で確定判決が出るまでは被告の罰の執行はできないと結論していた。
多分世界の大部分の国の司法制度には「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則があって、有罪が確定されるまでは罰に服することはないのであるが、もちろんブラジル憲法もこの、"Presunção da inocência"の条文を持っていて、この原則を尊重した判決であった。
連邦最高裁判所大法廷は2016年に、今回のルラ元大統領の人身保護請求の拒否に根拠を与えることになった、「被告が二審で有罪の確定判決(それでは確定判決ではないという議論は置いといて)が出た時点で罰の執行を行なう」という規範を示した。
2016年の判決を行った連邦最高裁の11人の判事の票決は、全く同じ6対5であった。
詳しく触れないが11人の判事の顔ぶれは一部異なっているが、大部分は同じ人である。
これは黒に限りなく近い被告が、財力にまかせて弁護士に高額の報酬を払いながら裁判の引き延ばしと人身保護請求の合わせ技を図って、判決から逃げながら服役をできるだけ将来に延ばして時効到来を狙う行為を是正する意図があったのだろう。
2009年と2016/2018年の二つの異なる判決の根拠は、矛盾を含み相容れないものである。
そのため連邦最高裁の11人の判事の意見は半々に割れて一致を見ることはない。
一方は「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則である。
「推定無罪」に厳格に従うと、当然最終の確定判決が出ないことには、被告は本当の犯罪人でないのだから留置されることはあっても服役することはないはずだ。
この説に従えば、最高裁では下級裁のどんな誤謬も正されるから、無実の人間の冤罪は起こらないという仮説を信ずることになる。
他方にあるのが、ブラジルに蔓延するimpunidade、つまり本来罰せられるべき犯罪人が裁判ののろさと制度の複雑さを悪用して罰せられずにいる悪弊をなくそうという意図である。
この考え方に沿うと、「推定無罪」原則を逆手に取って逃げる本当の悪人の企みを阻止して、犯罪人の逃げ切りは起きないという仮説に基づくことになる。
これで見るように似たもの二つからどちらを取るかという問題でなく、全く反対の考え方のどちらを選ぶかという問題であって、判決の勢力配分が、判事の票決が全員一致とか、9対1とか(裁判長は同点決戦でない場合には票決に加わらないと思う)で圧倒的であったのなら、後に蒸し返しは起こらないだろうが、直近2回の判決が6対5という僅差なので、近い内に誰かが文句をつけて蒸し返す余地が大きく残っている。
実際に人身保護を連発してどんな被疑者も逃してしまうことで有名なGilmar Mendes最高裁判事は、2016年には二審有罪確定で服役に票を入れたが、2018年には最終確定判決までは服役しない方に寝返っている。
反対に、Carmen Lúcia最高裁判所長官と共に2/11を占める女性判事であるRosa Weber最高裁判事は、「本心は推定無罪の原則に従いたいが、たった2年前の判断をコロコロ変えるようだと最高裁の見識が疑われて司法の信頼性(segurança judiciária)が損なわれるから、後者を尊重したい」と、2016年とは票を変えたので、Gilmar判事と入れ替わって結局投票は2018年と2016年を比較してプラマイゼロ、同じ6対5となったのである。
この非常に根拠の弱い二審有罪確定で服役という規範は、ルラ元大統領弁護団が連邦最高裁の弱点とみなして攻撃してくる可能性が極めて高いと思われて、これからも波乱は絶えないことを予感させている。
その判例は2016年の連邦最高裁大法廷の判断であり、その前の判断は2009年に遡るが、反対の判決が出ている。
面倒なので裏をとる確認はしないが、2009年の判断は、全ての上訴の道が尽くされてもうこれ以上裁判で争うことのできない、つまり本当の最終審で確定判決が出るまでは被告の罰の執行はできないと結論していた。
多分世界の大部分の国の司法制度には「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則があって、有罪が確定されるまでは罰に服することはないのであるが、もちろんブラジル憲法もこの、"Presunção da inocência"の条文を持っていて、この原則を尊重した判決であった。
連邦最高裁判所大法廷は2016年に、今回のルラ元大統領の人身保護請求の拒否に根拠を与えることになった、「被告が二審で有罪の確定判決(それでは確定判決ではないという議論は置いといて)が出た時点で罰の執行を行なう」という規範を示した。
2016年の判決を行った連邦最高裁の11人の判事の票決は、全く同じ6対5であった。
詳しく触れないが11人の判事の顔ぶれは一部異なっているが、大部分は同じ人である。
これは黒に限りなく近い被告が、財力にまかせて弁護士に高額の報酬を払いながら裁判の引き延ばしと人身保護請求の合わせ技を図って、判決から逃げながら服役をできるだけ将来に延ばして時効到来を狙う行為を是正する意図があったのだろう。
2009年と2016/2018年の二つの異なる判決の根拠は、矛盾を含み相容れないものである。
そのため連邦最高裁の11人の判事の意見は半々に割れて一致を見ることはない。
一方は「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則である。
「推定無罪」に厳格に従うと、当然最終の確定判決が出ないことには、被告は本当の犯罪人でないのだから留置されることはあっても服役することはないはずだ。
この説に従えば、最高裁では下級裁のどんな誤謬も正されるから、無実の人間の冤罪は起こらないという仮説を信ずることになる。
他方にあるのが、ブラジルに蔓延するimpunidade、つまり本来罰せられるべき犯罪人が裁判ののろさと制度の複雑さを悪用して罰せられずにいる悪弊をなくそうという意図である。
この考え方に沿うと、「推定無罪」原則を逆手に取って逃げる本当の悪人の企みを阻止して、犯罪人の逃げ切りは起きないという仮説に基づくことになる。
これで見るように似たもの二つからどちらを取るかという問題でなく、全く反対の考え方のどちらを選ぶかという問題であって、判決の勢力配分が、判事の票決が全員一致とか、9対1とか(裁判長は同点決戦でない場合には票決に加わらないと思う)で圧倒的であったのなら、後に蒸し返しは起こらないだろうが、直近2回の判決が6対5という僅差なので、近い内に誰かが文句をつけて蒸し返す余地が大きく残っている。
実際に人身保護を連発してどんな被疑者も逃してしまうことで有名なGilmar Mendes最高裁判事は、2016年には二審有罪確定で服役に票を入れたが、2018年には最終確定判決までは服役しない方に寝返っている。
反対に、Carmen Lúcia最高裁判所長官と共に2/11を占める女性判事であるRosa Weber最高裁判事は、「本心は推定無罪の原則に従いたいが、たった2年前の判断をコロコロ変えるようだと最高裁の見識が疑われて司法の信頼性(segurança judiciária)が損なわれるから、後者を尊重したい」と、2016年とは票を変えたので、Gilmar判事と入れ替わって結局投票は2018年と2016年を比較してプラマイゼロ、同じ6対5となったのである。
この非常に根拠の弱い二審有罪確定で服役という規範は、ルラ元大統領弁護団が連邦最高裁の弱点とみなして攻撃してくる可能性が極めて高いと思われて、これからも波乱は絶えないことを予感させている。
2018年4月9日
上がりの遠いブラジルの司法
日曜日の午後、サッカーの州チャンピオンシップ決勝があって花火が上がっていた。
本題と全く関係ないが、2018年ミナス・ジェライス州チャンピオンはアトレチコ・ミネイロを2戦目で逆転したクルゼイロであった。
3日前思いがけない時間に花火が上がったことを思い出す。
2018年4月5日木曜日未明0時30分ころ、突然遠くで花火が上がった。
思い出してテレビをつけてみたら、ブラジルのルラ元大統領が「二審で有罪確定判決が出ても最終審で確定判決が出るまで逮捕されないよう」連邦最高裁判所に請求した人身保護請求について大法廷での審判が決着したのだ。
連邦最高裁判所大法廷は御老体の判事達には堪えるだろう、延々と11時間(もちろん何回か休憩はあったが)審理されて、といっても各判事は既に意見を固めていたようであるから各自の論旨を主張して、5対5だった票決は裁判長の決定票によって6対5でルラ元大統領の人身保護請求を認めなかった。
数的には危ない票決だった。
同日木曜日夕方、逮捕命令を出す担当である一審のSérgio Moro判事が早速逮捕命令を出した。
元大統領は「名誉ある役職にあった」ので、連邦警察に「自発的出頭」をするように24時間の猶予を与えた。
自発的出頭期限の金曜日夕方になっても、元大統領は現れなかった。
自分の古巣、サンパウロ大都市圏のABC地区金属労働者労働組合に籠城したとか報道したメディアもあった。
連邦警察と「出頭の方法について交渉中」とメディアは伝えた。
翌土曜日19時ころには、娑婆の最後の演説を終えた元大統領をのせた車が連邦警察に向かっている映像をテレビ中継していた。
時間の遅れはあったにせよ、元大統領は自発的に連邦警察に赴いた。
気になった点を忘れないように書き留めておく。
普通ポルトガル語風にh無音のローマ字読みして、アベアス・コルプスと言われて、「人身保護令状」と訳されている。
HCと略されたりもする。
不当逮捕に対抗する正当な手段である。
これだけなら別に問題はなさそうであるが、そうではない事情がある。
貧乏人相手の仕事は門前払い、金を積まなければ仕事をしないような、いわゆる有能な弁護士が、依頼人が罪を犯したことがほぼ濃厚であっても、「依頼人の身体に危険が及びそう」とか、「依頼人は社会に害を与えないから逮捕に及ばない」とか、理由をつけて被告を逮捕させないために持ち出す武器である。
裁判所の系統が大きく分けて、司法裁判所と連邦裁判所と分かれていて、それぞれが三審となっている上に、両方が場合によって交差することがあって、「裁判を遅らせるのが得意な」弁護士にかかると訴訟は縦線で上がったり下がったり横線で隣のラインに移ったり、変幻自在である。
その他に、多分ブラジル特有の労働裁判所とか選挙裁判所(選挙管理委員会の役割)という別系統があって、これはこれで摩訶不思議な世界であるが、ここでは触れない。
上訴だけではなく、同じ段階の裁判所の判決に異議申し立てをすることが可能で、異議申し立てを意味する司法用語を見ると、異議申し立てにも種類があっていくつもの用語があるようなのだが、こんなことは我々一般の市民には複雑過ぎて理解できない。
ニュースを見ていたら、その一つである、embargo de embargos、異議申し立ての異議申し立て、名前からおかしいのであるが、これが制度上何回もできるようなのだ。
通常は理由をつけて3回位までだと言っていたが、それぞれに数ヶ月から数年かかったら、いつ終わるのか見当がつかなくなる。
次の一手が一つだけでなく、裁判の道筋の可能性が無数にあるようで、見通しがきかないのである。
見方を変えると「疑わしきは罰せず」精神を実践して、慎重な審理を行っていると言えるのだろうが、この複雑な上訴・異議申し立て制度を人身保護請求と組み合わせると、あら不思議、裁判で何年も争っている間全く収監されずに、自宅で寝起きできる。
一つの例としてあげられたのは、裕福な農場主に殺人容疑が掛けられたが、この裁判引き延ばしと人身保護請求の二本立てで、一度も(と肯定はできないが、少なくとも長期間)牢屋に入ること無く、時効が来て無罪になってしまった。
このような馬鹿げた恥ずべき「犯罪が罰せられない(impune)ブラジル」という事態を許さないために、事実審理が終わる二審まで審理が尽くされたら服役してもよいのではないか、という判例の規範が2016年に連邦最高裁判所によって出された。
実際にルラ元大統領の収賄容疑は連邦裁判所で審理されていて、現在二審である連邦地方裁判所の3人の判事の合議判決は全員一致で、一審の連邦判事一人の判決(禁錮9年6か月)より重罪とした(12年1か月)。
ルラ元大統領の弁護団は人身保護請求を別系統の司法裁判所に請求して棄却されたために、連邦最高裁判所つまり最終審に改めて人身保護請求を行ったのだが、同様に否決されたわけである。
しかし裁判の最終的な行方はわからず、選挙裁判所がルラ元大統領の被選挙権を確認したら、獄中の立候補者という想像し難い大統領候補が生まれる可能性も否定できないのである。
結局、金持ちと貧乏人は「法のもとで平等」ではないと誰もが感じている。
本題と全く関係ないが、2018年ミナス・ジェライス州チャンピオンはアトレチコ・ミネイロを2戦目で逆転したクルゼイロであった。
3日前思いがけない時間に花火が上がったことを思い出す。
2018年4月5日木曜日未明0時30分ころ、突然遠くで花火が上がった。
思い出してテレビをつけてみたら、ブラジルのルラ元大統領が「二審で有罪確定判決が出ても最終審で確定判決が出るまで逮捕されないよう」連邦最高裁判所に請求した人身保護請求について大法廷での審判が決着したのだ。
連邦最高裁判所大法廷は御老体の判事達には堪えるだろう、延々と11時間(もちろん何回か休憩はあったが)審理されて、といっても各判事は既に意見を固めていたようであるから各自の論旨を主張して、5対5だった票決は裁判長の決定票によって6対5でルラ元大統領の人身保護請求を認めなかった。
数的には危ない票決だった。
同日木曜日夕方、逮捕命令を出す担当である一審のSérgio Moro判事が早速逮捕命令を出した。
元大統領は「名誉ある役職にあった」ので、連邦警察に「自発的出頭」をするように24時間の猶予を与えた。
自発的出頭期限の金曜日夕方になっても、元大統領は現れなかった。
自分の古巣、サンパウロ大都市圏のABC地区金属労働者労働組合に籠城したとか報道したメディアもあった。
連邦警察と「出頭の方法について交渉中」とメディアは伝えた。
翌土曜日19時ころには、娑婆の最後の演説を終えた元大統領をのせた車が連邦警察に向かっている映像をテレビ中継していた。
時間の遅れはあったにせよ、元大統領は自発的に連邦警察に赴いた。
気になった点を忘れないように書き留めておく。
上がりの遠いブラジルの司法
誰かが逮捕されそうになると、特にそれが権力や金を持った人である場合に、"habeas corpus"というものが請求される。普通ポルトガル語風にh無音のローマ字読みして、アベアス・コルプスと言われて、「人身保護令状」と訳されている。
HCと略されたりもする。
不当逮捕に対抗する正当な手段である。
これだけなら別に問題はなさそうであるが、そうではない事情がある。
貧乏人相手の仕事は門前払い、金を積まなければ仕事をしないような、いわゆる有能な弁護士が、依頼人が罪を犯したことがほぼ濃厚であっても、「依頼人の身体に危険が及びそう」とか、「依頼人は社会に害を与えないから逮捕に及ばない」とか、理由をつけて被告を逮捕させないために持ち出す武器である。
裁判所の系統が大きく分けて、司法裁判所と連邦裁判所と分かれていて、それぞれが三審となっている上に、両方が場合によって交差することがあって、「裁判を遅らせるのが得意な」弁護士にかかると訴訟は縦線で上がったり下がったり横線で隣のラインに移ったり、変幻自在である。
その他に、多分ブラジル特有の労働裁判所とか選挙裁判所(選挙管理委員会の役割)という別系統があって、これはこれで摩訶不思議な世界であるが、ここでは触れない。
上訴だけではなく、同じ段階の裁判所の判決に異議申し立てをすることが可能で、異議申し立てを意味する司法用語を見ると、異議申し立てにも種類があっていくつもの用語があるようなのだが、こんなことは我々一般の市民には複雑過ぎて理解できない。
ニュースを見ていたら、その一つである、embargo de embargos、異議申し立ての異議申し立て、名前からおかしいのであるが、これが制度上何回もできるようなのだ。
通常は理由をつけて3回位までだと言っていたが、それぞれに数ヶ月から数年かかったら、いつ終わるのか見当がつかなくなる。
次の一手が一つだけでなく、裁判の道筋の可能性が無数にあるようで、見通しがきかないのである。
見方を変えると「疑わしきは罰せず」精神を実践して、慎重な審理を行っていると言えるのだろうが、この複雑な上訴・異議申し立て制度を人身保護請求と組み合わせると、あら不思議、裁判で何年も争っている間全く収監されずに、自宅で寝起きできる。
一つの例としてあげられたのは、裕福な農場主に殺人容疑が掛けられたが、この裁判引き延ばしと人身保護請求の二本立てで、一度も(と肯定はできないが、少なくとも長期間)牢屋に入ること無く、時効が来て無罪になってしまった。
このような馬鹿げた恥ずべき「犯罪が罰せられない(impune)ブラジル」という事態を許さないために、事実審理が終わる二審まで審理が尽くされたら服役してもよいのではないか、という判例の規範が2016年に連邦最高裁判所によって出された。
実際にルラ元大統領の収賄容疑は連邦裁判所で審理されていて、現在二審である連邦地方裁判所の3人の判事の合議判決は全員一致で、一審の連邦判事一人の判決(禁錮9年6か月)より重罪とした(12年1か月)。
ルラ元大統領の弁護団は人身保護請求を別系統の司法裁判所に請求して棄却されたために、連邦最高裁判所つまり最終審に改めて人身保護請求を行ったのだが、同様に否決されたわけである。
しかし裁判の最終的な行方はわからず、選挙裁判所がルラ元大統領の被選挙権を確認したら、獄中の立候補者という想像し難い大統領候補が生まれる可能性も否定できないのである。
結局、金持ちと貧乏人は「法のもとで平等」ではないと誰もが感じている。
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