ある元冤罪囚の悲しい死に、運命のいたずらを感じた。
19年間無実の罪で収監された元機械工のMarcos Mariano da Silva(63歳)は、11月22日火曜日、レシフェの自宅で就寝中、梗塞で死亡した。
元機械工は1972年殺人の疑いで逮捕され、いったんは1982年に真犯人が捕まったというので6年懲役の後釈放された。
その3年後の1985年、彼はトラック運転中の一斉検問で、彼の顔を知っていた警官に脱獄囚として再び捕まり監獄に戻った。
マルコス・マリアーノはどう弁明しても聞いてもらえず、さらに13年刑務所で暮らすことになった。
獄中で結核にかかり、刑務所で起きた囚人の反乱を鎮圧する警察が発射して爆発した催涙弾の破片の直撃を受け失明した。
ある司法権の人が司法の間違いに気づいてくれて、1998年にやっと自由な身になることができた。
マルコス・マリアーノは、さっそくペルナンブコ州政府を相手に、損害賠償を求める訴訟を起こした。
大衆を驚愕させた冤罪の事実が明らかになり、州政府は一ヶ月千レアルの年金を支払ってきたが、2009年に賠償金の半金を支払ってから州政府は年金を停止した。
マルコス・マリアーノは家を購入し、家族を養い人間の生活を取り戻した。
しかし友人となった彼の弁護士によると、彼はすでに生きる喜びをなくしていた。
「暗い監獄で生きてきたんだ、再び目が見えるようになるなら何でも払うつもりなんだが。」
2回目に捕まって妻と11人の子に見捨てられたときに、マルコス・マリアーノは、同房の囚人を訪問した囚人の妻の付き添いだったルシアと知りあい、結婚に至った。
州政府を訴えた裁判のゆくえであるが、一審は物的損害賠償金及び慰謝料として200万レアルの支払を命じた。
しかし州政府は2009年に半分を払った後、残る半分が惜しくなったのか、上級審へ控訴した。
高等裁判所(Superior Tribunal de Justiça)の判決は、州政府の言い分を認めず、一審判決を支持した。
その判決内容を弁護士から知らされたのは11月21日の午後3時ころであった。
判決を知った喜びの夜から、彼は目覚めることは二度となかった。
彼の尊厳ある人間の証明に向けて、苦痛に満ちた闘争を共にした弁護士は、彼の死について語った。
「まるで安らかに死におもむけるよう、無実の確証を待っていたようなできごとだった」
賠償金を独り占めにしたい身内の犯罪のにおいがするとか、うがった見方もできるがやめておこう。
ただ数奇な人生であった、とだけ言っておこう。
(http://noticias.r7.com/cidades/noticias/homem-fica-preso-19-anos-preso-por-engano-e-morre-depois-de-saber-sobre-indenizacao-milionaria-20111127.htm及びGloboニュースから)
0 件のコメント:
コメントを投稿