2022年5月30日

マスク嫌いな人たち

先月のことであるが、復活祭の翌週ブラジルでは、エスコーラ・デ・サンバ(サンパのチーム)が、大掛かりなコンテストで競う形式のカーニバルが、リオとサンパウロ両都市で開催された。
コロナウィルスのオミクロン株の急速な感染拡大のために、今年の場合3月末から4月初めに当たる、本来教会が定めたカーニバルの時期から1ヶ月半以上の順延であった。

テレビ中継を見ればわかるが、誰もマスクを着用していない。
カーニバルパレード会場は屋外ではある。

ブラジル26州と1連邦区の州都全部で、屋外のマスク使用義務はすでになくなっており、屋内でのマスク着用義務もほとんどの州都で終了している。
わが町も医療機関内を除くすべての場所でマスク着用義務は撤廃されて、公共交通機関内のマスク使用については推奨となっていて、義務ではなくなった。
学校は小学校から大学まで、学校の規則により着用が義務となっているところが多い。

日本の報道や街角のライブカメラを見ると、歩く人々は全員マスクをつけている。
日本の現在の気候は、マスク着用が苦になるほどの暑さに達することもあるだろう。
暦では秋といってもブラジルの各地方では、南部を除いたら昼間30度を超える暑さになる場所が多いので、暑く蒸れるから慣れないとマスクが苦しいという人は多い。

義務化されていなくても集団的自主規制心理により、マスク全員着用の日本と、着用義務撤廃のブラジルと新型コロナ感染症の流行状況と比べたら、ブラジルの状況が急速に改善したのかという疑問が起きるが、実際どうなのか?

コロナについて記録をつけ始めた流行初期の前年となる2019年の人口推計は、ブラジル2億1千3百万、日本1億2千6百万であった。
ブラジルの人口は日本の人口の68%増しである。

最近のコロナ感染症による死亡数の7日移動平均はだいたい、
ブラジル 約110人
日本 約35人
計算して単位人口あたりで比べると、ブラジルの死亡数が日本より68%多い約60人であったなら、単位人口あたり死亡数が日本と同じ水準になるといえる。
しかし実際のブラジルの死亡数はそれよりかなり多い。
つまり、ブラジルの死亡数は、日本より改善したどころか、逆にかなり多いではないか。

病原体が重症化しにくいオミクロン株に置き換わった結果、医療機関のコロナ患者増大による逼迫がかなり前のことになっているから、もうブラジル人の心からはコロナ流行がすっぽり抜け落ちたように感ずる。

パリ生活の長いピアニスト本田聖嗣さんによると、パリでマスクをして通りを歩いている人がいたら、それを見た通行人は、どこかの病院から抜け出した重病人が歩いていると訝しく感じたそうである。
新型コロナ出現以前のことである。
フランスもブラジルも同じようなものだった。

日本で子供時代を送った人は、冬になって少しくらい風邪を引いても、よほど熱が出ないと学校を休ませてくれないから、マスクを着けて登校したものだった。
あの頃はガーゼマスクだった。
子供はマスクの意義がよくわからないから、顎マスクも鼻出しマスクも一向に平気だった。
だから年配の人も若い人も、マスク着用をそれほど嫌うことがない。

気候が温暖であるブラジルには、杉林やヒノキ林のような針葉樹単一種の大植林はない。
材木や木炭の生産のために、ユーカリや松の大植林はあるが、これらは空気を黄色くするような花粉を放出することはないようである。
だから日本には花粉症というアレルギー症状が春にあって、そのためにずっと昔から多くの人がマスクをする習慣があるのだと、妻などこちらの人に説明しても今一つ理解してもらえないようなのだ。

だから2000年のカーニバルが終わって、ブラジルでも新型コロナによる死者が数えられるようになってから、スーパーでマスク手袋の女性を見たときには本当に驚きだった。
最初の頃はWHOが率先して、普通の人はマスクをしても意味がないとか説いていたくらいである。

強制されなくても国民が自主的にマスク着用をする稀有な国、日本のような条件にない大多数の国々では、マスク着用を条例で制定しなくては呼吸器病の流行を抑えることができなかった。
法律で強制的に着用を課されたものは、当然法律が撤廃されると着けるモチベーションがなくなる。

ブラジルでも多くの人々は、病気に関する知識を一応教えられてきたわけだから、いつも発表される新型コロナ流行に関するニュースを参考にしながら、自分の健康状態と今自分がいる環境をを自分で分析して、自分の責任で着けるか着けないかを決めることになる。
昔のパリのように、マスクを着けた人を怪訝な目で見ることはなくなっているのが救いである。