2013年7月18日

夏=犯罪増?常夏のブラジルの立つ瀬がない

When Ice Cream Sales Rise, So Do Homicides. Coincidence, or Will Your Next Cone Murder You?
By Justin Peters | Posted Tuesday, July 9, 2013, at 2:59 PM
http://www.slate.com/blogs/crime/2013/07/09/warm_weather_homicide_rates_when_ice_cream_sales_rise_homicides_rise_coincidence.html

アイスクリームが売れる時期は犯罪が増える、だからアイスクリームが殺人事件を起こす、これでいいのか?
良いわけがない。
天才バカボンではないぞ。

AだからBだ。
BだからCだ。
ゆえに、AだからCだ。
これは正しい三段論法だろう。

AだからBだ。
AだからCだ。
だからといって、BだからCであるわけではない。
ここで、Aは「気温が高い」、Bは「アイスクリーム販売が増加」、Cは「殺人事件が増加」と当てはめれば答えは明白だ。

記事の中から抜粋する。
Summer is when people get together. More specifically, casual drinkers and drug users are more likely to go to bars or parties on weekends and evenings, as opposed to a Tuesday morning. These people in the social mix, flooding the city’s streets and neighborhood bars, feed the peak times for murder, experts say.

単語'Summer'を'Brazil'に取り替えてみよう。
Brazil is where people get together. More specifically, casual drinkers and drug users are more likely to go to bars or parties on weekends and evenings, as opposed to a Tuesday morning. These people in the social mix, flooding the city’s streets and neighborhood bars, feed the peak times for murder, experts say.

ブラジルは人々が集うところである。特に、酒飲みやクスリの常用者が(火曜日の朝とは反対に)週末とか晩にバーへ繰りだすことが多い。こんな連中が人々と交わい、通りや近所のバーにあふれると、殺人事件のピークを盛りあげることになる、と専門家は言う。

ブラジルの日常風景そのものではないか。
「火曜日の朝」うんぬんの箇所だって、日本で平日の昼前からパチンコしている人がいるように、ブラジルでも昼前から街かどのバール(bar)でビールを飲んでる人は珍しくない。

ブラジルは北部・東北部に常夏の場所が多い。
どうしたものだろうか。

次に書くのは、南東部・南部など、ブラジルでも冬に多少温度の下がる地方でのことだ。
アカデミア(academia)というと、学会とか学校という意味だが、スポーツジムもアカデミアだ。
今の時期、つまり冬には、アカデミアは人が減りガラガラになるという。
ブラジルでは南部の一部の地域を除き、大した寒さでないのだが、寒さにくじけてトレーニングをやめる人が多いらしい、と最近のローカルニュースで言っていた。

アカデミアの季節的繁忙・閑散の繰り返しは、寒さのせいだけでなく、別の説明がつく。
冬は体のラインが衣服に隠される季節だ。
しかも日本の秋のような気候だから、食欲はさかんになる。
薄着になる季節の春がめぐってくると、飽食と運動不足の結果に驚いた人々は、再びアカデミアに戻ってくる。
対策を怠ると、すぐ目の前に来た夏の水着姿に自信がなくなるからだ。
すべてのブラジル人に当てはまるとは言わないが、人に見られる体形、いや進んで見せる体形を気にする人が多く、酒や薬物のせいだけでなく夏に開放的になるのは当然といえる。

2013年7月14日

ブラジルの牛の降るまちを

フランスの作曲家ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)の作品に、バレエ音楽「屋根の上の牛」(Le Boeuf sur le toit)というのがある。
Wikipediaをみると、「ブラジルの大衆音楽や舞曲に強く影響されており(たとえば「屋根の上の牛」という題名は、ブラジルの古いタンゴに由来する)」と書いてある。
聞いてみると、ふわふわ、うきうきするような、浮遊感のある曲だ。
しかし現代ブラジルでは、昔より屋根が薄くなったからだろうか、牛は屋根をぶち破って家の中に落ちる。

13 July 2013 Last updated at 23:05 GMT
Brazilian man killed in his bed by falling cow
http://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-23303998
「ブラジルでベッドに落ちてきた牛により男性死亡」

ミナス・ジェライス州カラチンガ(Caratinga)の小さな家で、裏の牧草地で草を食んでいた体重1トンの雌牛が、アスベストの屋根を踏み抜き、ベッドで寝ていたJoão Maria de Souzaさん, 45歳の上に落下した。

ソウザさんは病院に運ばれたときは意識がはっきりしていて、一見して危険な徴候はなかったのに、医者に診てもらうまで長時間待たされた、と親族は語った。

ここで一つの問題が提起される。
ブラジルの公共医療の問題である。
病院に運ばれても医師不足、ベッド不足、機器・薬品不足などのため満足な医療が受けられないことがあるのだ。
それについては、先日のコンフェデレーションズカップ時期に合わせて起きた、全国の抗議デモの要求の一つとなったので、現在連邦政府は、医学部の就学年数を6年から8年に延長、最終2年を公共病院で実習してもらうという案や、連邦政府が月給1万レアルを負担して、医療過疎地に医師を雇い、地方自治体は住居食糧の負担をするという案が検討されている。

外国人医師の導入については、ブラジル人医師で医療過疎地の定員が埋まらない場合のみ、それを行う、ブラジルの医学部相当以上の教育の質が保証される国で医師資格を取得した者だけにブラジルでの医師就業を認める、ポルトガル語は必修と、連邦政府は提案している。
ということで、ブラジルのニュースでは、ポルトガルとスペインを想定していると解説した。
スペイン語でのコミュニケーションで苦労する必要はないが、スペイン語訛り・ポルトガル訛りのポルトガル語で会話することになりそうだ。
ブラジルの医師会は既得権が侵されると感じるのだろう、当然のように連邦政府の医療改革案に反対している。
これは全世界で普通に見られる反応だろう。

空から降ってきた牛の話に戻ろう。
地元メディアによると、この地方で同様の事件が起きたのは過去3年で今回が3回めという。
もっとも過去2回では死傷者は出ていない。

1回めには、屋根の下には誰もいなかった。
2回めの事件では、牛が落下した地点のすぐそばに赤ん坊と幼児が寝ていたが、奇跡的に無事だった。

BBC記事は、カラチンガは、ブラジルの伝統的酪農地域であるミナス・ジェライス州の丘陵地に立地すると結んでいる。
そんな断定をされても困る。
酪農の盛んな丘陵地だからといって、毎年のように牛が降ってくる場所は多くない。
家の裏の丘と家の屋根の位置関係は不明なので、草を食べている牛がどうして屋根の上へジャンプするのかも謎である。

そういえば、日本には「雪の降るまちを」という歌があったな。

2013年7月13日

ロナウジーニョのお辞儀

ブラジルのフットボール選手でロナウジーニョというと、二人思いつく。
二人が同時に現役で活躍していたころは、区別するために、後からでてきた方をその出身地リオ・グランデ・ド・スル(Rio Grande do Sul)の形容詞をつけて、ロナウジーニョ・ガウショ(Ronaldinho Gaúcho)と呼んでいた。

最初でてきたロナウジーニョだが、ただのロナウジーニョ、あるいはあだ名フェノメノをつけて、Ronaldinho Fenômenoは選手引退をして、現在はワールドカップ組織委員のため、よくニュースに登場する。
現役のロナウジーニョ・ガウショは、区別する必要がなくなったので、最近はガウショが取れて、ただのロナウジーニョと呼ばれることも多い。

ロナウジーニョ・ガウショは、現在ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテのアトレチコ・ミネイロ(CAM - Clube Atlético Mineiro)でプレーしている。
先の水曜日2013年7月10日、アトレチコ・ミネイロは、コパ・リベルタドーレス(Copa Libertadores)の準決勝で、アルゼンチンのNewells Old Boysと2戦後、通算引き分けとなったため、PK戦に決定が持ち越された。
アトレチコ・ミネイロは5人目のキッカーに今やベテランの貫禄のキャプテン、ロナウジーニョ・ガウショを任じた。
3巡目と4巡目の両チームのキッカーが4人連続でゴール外に外すという、かなり珍しいできごとのあとで2-2の同点、ロナウジーニョ・ガウショは確実に決めて3-2とした後、NOBのMaxi Rodriguezによる最後のシュートをアトレチコのキーパーVictorは予期した動きでパンチして、劇的な決勝進出を決めた。

さて、ロナウジーニョだが、PK均衡を崩して勝利を引き寄せたシュート成功後、ゴールの方に向かって日本式のお辞儀をした。
ロナウジーニョは何を思ったのだろうか。
Newells Old Boysのキーパーにお礼を言っているのではない。
熱狂する応援団にお礼を言いたかったのだろうか。
サッカーの神様(それが存在するのなら)へのお礼だろうか。

いや、リベルタドーレス杯で優勝してクラブ・ワールドカップで日本へ行った時の、ゴール・パフォーマンスの練習をしたのではないか?
と思ったのだが、2013年のクラブ・ワールドカップの開催地は北アフリカのモロッコだから、そうでもないようだ。

ビデオでは1:02でそのシーンがある。

それほどサッカーファンでない私は、ロナウジーニョがお辞儀をしたのが初めてかどうかわからない。
長友がゴール・パフォーマンスでおじぎをする(した)というのも、聞いただけで見たことはない。
ほかにお辞儀をする(した)選手がいるのだろうか?

2013年7月9日

ブラジルにはトラック野郎でなくトラック宣教師

トラック野郎という映画のシリーズがあった。
今も満艦飾デコトラは、日本の国道を走っているのだろうか。
にぎにぎしくて懐かしい昭和の風景になってしまっただろうか。
最近、トラック運転手の高齢化が進み、トラック野郎はトラック爺さんになってしまった、という記事を読んだ覚えがある。

ブラジルにはトラックを飾る風習はない。
後ろのバンパーや荷台に、格言や冗談を書くことはよくある。
トラック運転手の哲学(filosofia de caminhoneiro)なんて呼ばれたりする。
でも、今日書くのはそれについてではない。

今日近所の通りで見たトラックの、前面の屋根上の、バスなら行先表示板にあたるところに、こう書いてあった。
"SALMO 127"
乗合バスだったら、サルモ127(通りあるいは番地)行き、ということになろうが、これはトラックだ。

ポルトガル語で(Livro de) Salmos、英語では(Book of) Psalmsといったら、旧約聖書の詩篇のことだ。
「詩篇127篇」と書いてあるのだ。
ブラジルはカトリックが最大勢力であるキリスト教国だ。
だから、トラックが聖書を引用することもあるのか?
これは宣教トラックなのか?

それにしても、聖書の内容を直接書くのでなく、その目次項目を書かれると、好奇心が湧き中身を知りたくなる。
手っ取り早くWikisourceからコピーしてみる。

127:1
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

127:2
あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

127:3
見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。

127:4
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。

127:5
矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

いったいこの詩篇127篇(詩編127編)のどこが、トラック野郎というかトラック宣教師の琴線にふれたのだろうか。
127:1と2では、主の意志にそわなければ、労働も節制も虚しいという。
127:3から5では、子どもたちは神から賜ったもので、多ければ良いという。
私の解釈が正しいのか、よくわからない。

もうひとつ気になったことがある。
ときどきみられることなのだが、日本語訳と英語訳で、意味が異なっているように思う。
127:4で、日本語で「壮年」と言っているが、英語ではyouth、ポルトガル語ではmocidadeと書いてある。
「壮年」は「心身ともに成熟して働き盛り」と辞書に書いてあるが、youthとかmocidadeとか言ったら、「若年・若造」ではないのか。
壮年と若年では、意味が微妙に違ってくる。

聖書の解釈はしばしば非常に難しい。
疑問を解くためには、教会に行って神父さんか牧師さんに尋ねるか、詩篇127篇のトラック運転手に聞くしかないか。