2014年7月9日

歴史に記憶される夜

2014年7月8日、ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテ、ミネイロン・スタジアム(Estádio Mineirão)におけるブラジルの歴史的大敗(1-7)から一晩過ぎた。
昨日のテレビ中継解説やニュースで、どのような表現をしていたのか、書き出してみた。
以下がすべてではないだろうが、思い出す限りこのような単語が使われていた。
動詞・形容詞で使われる場面もあったのだが、全部名詞形にしてある。
訳は現代ポルトガル語辞典から抜き出した。

tristeza 悲しみ・悲哀(寂しさ・消沈・陰気)
decepção 失望・期待はずれ・幻滅・落胆(不愉快)
humilhação 屈辱・恥・不面目
vexame 屈辱・不面目
colapso 崩壊・危機
sofrimento 苦痛・痛み・苦悩(忍耐・あきらめ・不幸・災難)
massacre 惨殺・虐殺
vergonha 恥・羞恥・恥辱・不面目
mágoa 悲しみ・苦痛(不愉快・不満)
atropelo 踏みつけ・押し倒し・苦痛


試合中に花火を上げるのは自チームが得点した時であるが、怒涛の10分間が過ぎるころからは、もうどうでもよくなったのか、このままでは花火が余ってしまうと思ったのか、ドイツのゴールでも花火が炸裂していた。
テレビ中継では、後半ブラジルサポーターもドイツのゴールに拍手していた。

試合後に1.5キロほどのところにあるスーパーマーケットまで歩いて出かけた。
通りのバーはもちろん祝勝の大騒ぎとは程遠かったが、そうかといって沈痛の重い雰囲気からも異なり、いつものように音楽がかかって一見普通の夜のような感じで、報道によるとサンパウロやクリチバでみられたらしい放火略奪のような物騒な事件は、この地方都市では起きることもなかった。

その仏系スーパーマーケットで見たのが次の写真である。

verde e amarelo 緑と黄色の飾りはあちこちにみられるが、トイレットペーパーの特別バージョンが出ていた。
トイレで用を足すたびにブラジルの応援をするためか、本来の用途とは違うがデコレーションに使うためかはわからない。

よく見ると下半分はきれいに国旗のデザインになっているのだが、上半分が崩れている。
店員が売れた分を補充するときに、デザイン通りに並べるのが面倒になったのだろう。

これからワールドカップ関連商品の売れ行きはどうなるのだろうか。
まあトイレットペーパーなら、セレソン敗退でも不良在庫になってしまう心配はないだろう。

一夜たってみると、あの敗戦の現実感が薄いのだが、インターネットやテレビをみると、歴史的事件(と言ってよいだろう)は重い現実である。
たぶん多くのブラジル人が感じているだろう、あれは夢ではなかったのかという非現実感は、徐々に数十年たっても語り継がれる事実に固まってくるのだろう。

セレソンの優勝をブラジルで一番切望していたのは、共和国大統領を筆頭とする現在の政権であったと思う。
ワールドカップで無駄金を浪費しているため保健・教育の予算が少ないという政権批判を一気にかわせるからだ。
デモはどこへ行った?というテーマで書こうと思っていたのだが、書くまでもなくすぐに戻ってくるかもしれない。

個人的には抗議運動デモに同感するところが多いので、理想的には決勝でアルゼンチンとあたって2-1で惜敗して現実に戻るというパターンが最善の未来と思っていたのだが、実現した現在は全く異なってしまった。
記事アップ後に起こる準決勝のもう一戦の結果で、6月12日の3位決定戦の相手が決まる。

心配なのは当の選手たちの精神状態である。
このわずか3日間の精神ケアと休養で復帰できるだろうか。
ここはショック療法、ライバル意識を利用するのだ。
アルゼンチンとあたり、永遠の、宿命の、その他無数の最大級の形容詞をつけたライバルとの一戦になり、一矢を報いて、これまでの数十年の不運を一気に集めた昨夜の後遺症から早く立ち直ってほしいものだ。
負けたら傷口に塩を塗ることになる危険は承知であるが、3位決定戦の相手はアルゼンチンであるべきだ。

ああそれでも、クラシック音楽番組でハイドン「神よ、皇帝フランツを守り給え」弦楽四重奏曲第77番『皇帝』第2楽章がかかるたびに、これからはF1のシューマッハと共に、セレソン・アレマン(ドイツ選抜)を思い出すことになるのだろう。

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