2017年5月31日

面倒なラ・プラタ人たち

アルゼンチン・ウルグアイ旅行に注意

私を含めてスペイン語話者でない人にはあまり関係ないかもしれないが、興味深い話を聞いたのでここで書こう。

その場にはペルー人とベネズエラ人がいた。

ところで、アルゼンチン人は歌うように話すと聞いたことがあるがそうなのかと尋ねたら、確かにそんな感じだ、あちらの方は発音や抑揚が違うとか、一部の動詞の活用に違いがあるとか口々に説明してくれた。

ベネズエラ人が話してくれた。
ラ・プラタ川を間に挟んだアルゼンチンとウルグアイの間にも話す言葉に微妙な違いがあって、それだけなら別に構わないのだが、困ったことに、話す言葉を聞いてあなたは〇〇人ですかと運悪く間違えて尋ねたとき、両者とも取り違えられると機嫌を悪くするというのである。
つまり、アルゼンチン人もウルグアイ人も面倒な人たちである。

ブラジルの、少なくとも私が歩く範囲で、日系ブラジル人というものが存在することが割合知られている地方では、普通の大人は東洋人顔の人へもブラジル人だと思って話しかけてくることが多い。
つまり通りを歩いていて、突然お前は何国人かと聞かれることはない。

ちなみに、いい加減な奴に道を聞くと、知らないくせに調子よく全然違った場所を教えられたりすることがあるが、道を聞かれることが多いのは、日本人顔だったら億劫がらずに正しい道を教えてくれるだろうという期待が大きいのだ、と勝手に良い方に解釈している。

しかしスペイン語を話す南米のいろんな国で、少々昔の話で今はどうか知らないが、あまり東洋人を見たことがないところでは、中国人(chino チノ)かと聞かれることが多くて、まあそんな連中は変なやつが来たからからかってみようとあまり心地よくない心がけであることが多いのだが、ガキどもが絶え間なく繰り返していちいち答えるのが面倒になると、もう中国人でも朝鮮人でもなんでも構わなくなってくる。
タモリのように滅茶苦茶でも中国語も朝鮮語もそれらしく聞かせる芸があったなら良いのだが、中国語を喋ってみろなどと意地悪することはないので、はいはい中国人ですよと適当にあしらうのが実害はなく楽になってしまう。

でもそうは思わなくて、中国人と呼ばれると気分を悪くしたり、いい加減にしておけなく本気で怒ったりする日本人もいるから、日本人も明快とは言い難いのである。

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