2020年12月28日

コロナ・サバイバルゲーム -1-

 新型コロナウィルスの脅威のもとでの生活は、それ自体サバイバルゲームである。
何しろ2020年12月28日の時点で、10万人あたりCovid-19累積死亡数は、
 ブラジル 90.1
 日本 2.6
なので、ブラジルは日本の35倍コロナが流布しているとみなそう。
実際はそうでないかもしれないが、ブラジルは日本の35倍Covid-19に罹って死亡する確率が高いものとすれば、サバイバルゲームの熾烈さが想像できるかもしれない。
アルコール消毒剤で手がぬるぬるになったのか、石鹸で洗いすぎてかさかさになったのかわけがわからなくなるのも、そのゲームの中の生きるための連続攻撃の結果なのである。

そして日常の生活の各場面は、サバイバルゲームの中のミニゲームである。

家のそばに路線バスの通る大通りがある。
片側2車線で両側に駐車帯もあるから、日本の住宅街区内ではまず見られない、幹線道路とも名乗ることのできるような広い通りである。
しかしバスは30分に1本だし、そのような広い通りは並行して何本も通っているから、普通車両の交通量も人の往来も少ない。
そのため、車が通らず人が歩いていないときは、マスクを着用しなくても安全に車道の真ん中を歩きながら道路を独占することが可能だ。

コロナ以前の頃であっても、ブラジルの通りを歩くときには、前方からこちらに向かって歩いてくる人の体つき・身なり・持ち物や、多人数だったらどのような構成のグループかを観察して、3秒でどのように行動するかを決定しなければならない。
行動とは、そのまま進んで行き違う、道の反対側に避けて逃げる、手前で横に曲がって逃げる、引き返して走って逃げるなどの反応である。

体つきといえば、体躯の大きさ、推定年齢、走るのが早そうか、喧嘩が強そうか、そんな点である。
特に顔つきというと、性格が荒っぽそうか優しそうか、おおよその年齢という要素の他に、文字に書いてはいけないような微妙な要素がある。
差別ではなく、単に統計の問題である。

着けている衣服や履物の様相からも、危なそうな人か安全な人かを判定しなければならない。
グループの場合にはその構成員に注意する。
女性・子供やお年寄がグループにいたら、安全ポイントは高い。
通常私が出歩くあたりには、ギャングとかはいないが、これについては日本でもヤクザや半グレらしいのを、態度や服装で判断するのと一緒だからわかってもらえるだろう。
自転車やオートバイ、特にオートバイ二人乗りは赤信号がつく。
外から見てわかるものではないが、腰回り・ポケットや持ち物を見て、武器を隠していないか想像しなければならない。

コロナが跋扈する日々になったら、もう一つ注意する点が増えた。
マスクをしっかり着用しているかである。
顔の色とマスクの色のコントラストがあれば遠くからもすぐ判定できる。
最近のマスクの色は様々なので一番困るのは、遠くから見てしっかり黒いマスクを着けていると思ったら、近寄ったら実はひげだったという事態である。

この「接近前通行人判定法」については、ブラジルに暮らす人はだれでも持っていると思うのだが、どうだろうか。

その判定法を習得した上で、件の大通りを歩くときは、自分が宇宙船になったつもりでミニ・サバイバルゲームに挑戦する。
前後から来る自動車、オートバイや自転車は高速で移動する隕石で、破壊力が大きくぶつかると自分が大破するから、無条件に反対側車線か歩道へ退避行動を取らなければ命を失う。
車道を歩いているのだから、後方からやってくる自動車は視力と聴力を最大限に働かせて安全距離で感知して逃避しなければ轢かれてしまう。
至極当然である。

すれ違ったり追い越したりする歩行者は、破壊力は隕石より小さいものの当たると小破する、つまりコロナをうつされる有害な宇宙塵である。
安全にやり過ごすためには、隕石と同じように反対側車線か反対側歩道へ退避する。
マスクをしている宇宙塵とは2メートル、マスク無しの有害度が大きな宇宙塵とは5メートルの距離を空けて側を通過するようにすればコロナ感染の危険から免れることができる。

まあこの想像のミニゲームは、この過疎った大通りだからできることであって、車が行き交い、歩道でもっとすれ違う人が多いような通りでは、最初からマスクを着用して臨まなければならないのは当然のことである。

0 件のコメント:

コメントを投稿