2014年4月14日

我らインターネット・ラジオを救えるか?

かってkikeru radioというサイトがあった。
kikeruツールバーという、インターネットラジオ再生ツールバーアドインもあった。
総称してkikeruプロジェクトというそうだ。

2010年12月に終了したこのサービスはどんなものだったか今調べたら、J-waveのBrandnew J、TBSのOttava、ニッポン放送のSuono Dolce、ラジオNikkei、文化放送の超!A&G、文化放送/NACK5のUNIQue the RADIOなどが参加していた。
デジタルラジオ試験放送開始、つまり世界向けインターネット配信開始当初は、手持ちぶさたな土曜日の午後にUNIQue the RADIOの懐メロ、エスニックやJ-waveのロケットマン・ショーのようなバラエティを聞いていた。

時がたち、放送時間短縮、独自番組制作からラジオサイマル放送への転換、日本国外向け配信の中止と、一抜け二抜けの撤退が始まってから、注目の的はTBSのOttavaとなった。

  • クラシック音楽の24時間週7日放送であること
  • 全世界で聞けるインターネット配信で、PC及びスマートフォン両機種にそれぞれライブ及びオンデマンド両方式で聴取可能なこと

Ottavaのユニークな点はこれに尽きる。

サンパウロに行ったときにFMラジオをスキャンすると、常時クラシック音楽を流しているステーションがあった。
最近はサンパウロに行くこともFMラジオをいじることもないが、今も24時間クラシックを流しているかはわからない。
人生の3分の1は睡眠だというから、一日中掛け放しにしておくにしても1日の放送時間は16時間で事足りる計算になるし、ながら聞きが得意と言ってもいっときに異なる二つの放送をながら聞きできる人などいないだろうから(いたら教えてほしい)、一人で24時間聴取は無理なのだが、なにしろ 24 horas (por dia), 7 dias (por semana), segunda a segunda 「24時間7日間月曜から月曜」といった売り言葉には弱いのが普通の人だ。
24時間聞けなくても単純にすごいと思ってしまう。
店舗などに流すBGM音楽として使っている人にとって、その有用さは言うまでもない。

世界に向けた日本発信であるからには、朝番組が朝聞かれるとは限らない。
現地時間の深夜早朝に放送される番組をライブで毎日聞くのは無理だ。
海外聴取者にとっては、オンデマンド方式は救いである。
ライブで聞き逃した部分も、オンデマンドなら後から簡単に聞ける。
インターネット速度が遅くライブで音が途切れるような条件であっても、オンデマンドでキャッシュが大きければ途切れなく聞くことが可能になる。
二重にも三重にも良いことずくめだ。

そしてあの日、2011年3月11日がきた。
普段なら騒々しいくらいのリクエスト番組も、ナレーションを極小に抑えてはいるが、音楽は途切れなく続いていた。
2,3日後には通常放送に戻っていたと思う。
ニュースならよそでいくらでも流している、いつもの番組で心やすまるクラシック音楽をかけ続けるのがステーションの使命、ときっぱりの主張だった。
その堅い主張は現在まで変わっていない。

Ottavaの番組Con Brioでは、「心をフォルテに」や、「みんなで作る復興コンサート」といった復興支援コーナーが毎日流れている。
第3回復興コンサートは早くもチケット完売して、2014年3月30日に大感動をよぶ成功裏に終了した。
海外にいてOttavaくらいしか日本からの放送を聞いてないと分からないのだが、実は震災関連の情報が毎日流れるというのは稀なことらしい。
Ottavaを聞いていると、日本では誰でも今まで毎日震災復興の心配をしていると思ってしまうのだが、そうではないらしい。
ここにもう一つ震災後に明らかになったOttavaの、ほかに見られない貴重な存在価値がある。

第3回復興コンサートの興奮冷めやらぬ翌々日の4月1日、Ottava 6月30日休止の重要なお知らせがサイトに掲示された。
エイプリルフールでないかと思ったリスナーも多かったようだ。

休止発表から約2週間経ち、右往左往といった当初の反応から抜け出し、なにか形のあるものにしようというリスナーの自発的な動きもすぐに始まっており、まあそれがこのブログの理屈っぽく冗長な駄文を書かせる原動力となっている。

TBSが、リスナーに及ぼすインパクトを和らげようと故意の言い換えを行ったのでないのなら、番組の休止というのは、終了や打ち切りではないのだろう。
少しだが望みがあるのだ。
まさに希望(希な望み)だ。
番組がなくなるのかという単純な喪失感の次に思ったのは、Ottavaがなくなると、来年の復興コンサート2015の中核になるリスナー、つまりコンサートのサポーターの集う場が失われてしまうのではとの心配であった。

ボツになったリクエストに添えた、読まなくても良いメッセージとして送ったのが次の文だった。

(以下は蛇足です)
TBSのデジタルラジオの実用化試験放送の一環としてのOttavaということでしたら、デジタルラジオ放送と同時にインターネット配信終了の運命もあったかもしれず、インターネット放送のみがその後も続けられていたことには、リスナーとしては感謝しなければならないのかもしれません。

Con Brioが「心をフォルテに」と「仙台フィル」の時間で、大震災を決して忘却しないメッセージを毎日送り続けたことは、単に日本語が聞けるインターネット放送に留まらない、制作者とリスナーの、日本人としての思いやりと心意気を感ずる貴重な番組で、海外からは心の拠り所です。
Ottavaがなくなると、来年の復興コンサート2015の中核になる原動力の場が失われてしまうのではと今から心配しています。

楽観的な予想は、インフラを持つ通信会社であるKDDIが、インターネット放送を引き継いで、多少形が変わろうともOttavaが継続することです。
多少悲観的な予想は、KDDIがOttavaを引き継いでも、auの独自コンテンツとなって、日本国内のauユーザでなければ聞けなくなることです。
一番悲観的な予想では、予告通り6月末日にOttavaがなくなってしまうことです。
最近はOttavaの手本となったClassic FMも、英国外からは聴取できなくなっています。

森さんが13回ほど、斎藤さんが50回ほど放送しているうちに新展開があり、Ottavaが所属をかえても続いていくうれしい未来になるよう願っております。
(蛇足おわり)

まあこれが私の願いである。

復興コンサートや復興支援室の主体であるKDDIを例にあげたのだが、別にKDDIでなくてもよい。
オンデマンドが個人的には一番うれしいが、コミュニティFMのサイマル配信の方がシステムが簡単に済みそうに思う。
24時間7日間クラシックというOttava当初からの形からははずれて、Animato, Con brio, Amorosoが分かれていくこともあるだろう。
本家Classic FMに習って、日本国外から聴取不可となることも覚悟しなければならない。

2014年4月20日追加
今日は復活祭である。
上の表現であるが、別に現在の番組ラインにこだわることはないのだ。
少し前まで放送されていた番組、FrescoやModeratoや週末のライブ演奏番組を再興させることも十分ありだ。
2014年4月20日追加部分終了

7年間積み上げたアーカイブや番組運用システムという、TBSの資産はどうなるのだろうか。
番組で時々聞く、「アーカイブにはいった曲」というのは、世界向けインターネット配信の著作権問題をクリアしている、CDなど物理媒体からリッピングした楽曲、と理解している。
アーカイブ作りは一朝一夕の仕事ではないであろう。

インターネット配信であるが、4時間番組のファイルが224MB、1秒あたり15.5キロバイトになるから、同時接続数を1万とするとストリーミングサーバは155メガバイトの送出、通信に必要なプロトコロのヘッダーなどで倍になったとして1秒あたり300メガバイト、一般家庭のパソコンサーバと通信条件からは無理そうだが、あまり大したことでもない感じでもあるが、専門家の目からはどうなのだろうか。
オンデマンドまで対応するとなると同時接続数はライブより少なくても良いだろうがストレージと連携の良いシステムが必要そうだ。

TBSはOttavaを休止する一方、他の組織がOttavaを継続する意志を持っている場合、こういった資産は快く譲渡されるだろうか。
古いアーカイブからVintage Classicsを出してくれたTBSである。
気前の良さをみせてくれると期待する。

現在のところ、(可能性はないと思うが)TBSが一旦下した休止判断を取り消すにしろ、新たな組織が引き継ぐにしろ、「これだけ継続を希望しているリスナーがいる」意思表明を送ることが一番大切であろう。

プレゼンターのひとり林田直樹氏は3月30日の放送分およびFBでご自分の意見を述べておられる。
3月30日放送はオンデマンドで3回位聞いた。
発言に意味深な表現の多い日だった。
番組休止を知りながら未だ公式発表できないもどかしさのためだったのだ。
林田氏の「敗戦処理投手で終わらない過激な放送をめざす」声明は、氏がこの番組の継続を切望していると理解する。

林田氏の発言といえば、忘れられない記憶がある。
OttavaのwebページにOttava Bizという名前だったと思うが、ガジェットがあった。
「耳でクラシック音楽、目で企業情報」とか紹介されていたと思う。
ある日の放送で、林田氏が「Ottava Bizとは実はTBSにとっては大切なものなんです」と力説していたのをかすかな違和感を持って聞いたから覚えているのだ。
そうか、林田さんが言うのなら見てみよっか、と2、3回位開いてみた。
しかし何分にも、企業情報とか株式市場とか縁のない世界で、遠い日本のできごとさ、などと考えて放っておくようになった。
今から思えば、実は林田氏の発言は、当時からTBSはクリック数をしゃにむに求めているという切望なサインだったのだ。

街を歩いていると、ビラ(パンフレット)配りがいる。
ビラの内容が今求めているものであることなど皆無に近い。
どうでも良いビラが多い。

「金(きん)買います」
「審査なしでお金貸します」
「職業訓練コース開催今なら月謝割引」
「補聴器で昔の聴覚を」

こういったビラを目の前に差し出されて、どういった反応を取るのが良いのだろうか。
  • 自分には用がない内容なら、もらっても捨てるかせいぜい資源再生だから、ビラの必要な人に渡るように自分はもらわないほうが良い。
  • 自分がもらってもビラ広告主の目的にはかなわないが、どうせビラなど百人に一人必要な人がいるかどうかだろう、貰ってやれば少なくともビラ配りのノルマ達成には役立ち、彼が多少早く仕事を切り上げる手助けになるだろう。

ウェブページにある広告のリンクを踏むことは、目の前に差し出された用もないビラを受け取るかどうかと同一の判断を求められる。
私の楽観があたってOttava atualが継続することになったとしても、Ottava Nova(イタリア語とポルトガル語の合成のような感じなのだが)に新生しても、いずれにせよ継続の道は無料ではない、多少の手間がかかっても毎日まいにち用もないリンクを踏み続ける必要があるのだろう。

まるで踏み絵だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿