2018年4月10日

脆弱な「二審有罪確定で収監」判決

連邦最高裁判所が、二審有罪確定の段階で懲罰に服すべき司法判断をしたのはもちろんこれが初めてではなく、既に判例が出ているので、司法はそれに従って多くの政治家を収監してきた。
その判例は2016年の連邦最高裁大法廷の判断であり、その前の判断は2009年に遡るが、反対の判決が出ている。

面倒なので裏をとる確認はしないが、2009年の判断は、全ての上訴の道が尽くされてもうこれ以上裁判で争うことのできない、つまり本当の最終審で確定判決が出るまでは被告の罰の執行はできないと結論していた。

多分世界の大部分の国の司法制度には「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則があって、有罪が確定されるまでは罰に服することはないのであるが、もちろんブラジル憲法もこの、"Presunção da inocência"の条文を持っていて、この原則を尊重した判決であった。

連邦最高裁判所大法廷は2016年に、今回のルラ元大統領の人身保護請求の拒否に根拠を与えることになった、「被告が二審で有罪の確定判決(それでは確定判決ではないという議論は置いといて)が出た時点で罰の執行を行なう」という規範を示した。
2016年の判決を行った連邦最高裁の11人の判事の票決は、全く同じ6対5であった。
詳しく触れないが11人の判事の顔ぶれは一部異なっているが、大部分は同じ人である。

これは黒に限りなく近い被告が、財力にまかせて弁護士に高額の報酬を払いながら裁判の引き延ばしと人身保護請求の合わせ技を図って、判決から逃げながら服役をできるだけ将来に延ばして時効到来を狙う行為を是正する意図があったのだろう。

2009年と2016/2018年の二つの異なる判決の根拠は、矛盾を含み相容れないものである。
そのため連邦最高裁の11人の判事の意見は半々に割れて一致を見ることはない。

一方は「推定無罪」「疑わしきは罰せず」の原則である。
「推定無罪」に厳格に従うと、当然最終の確定判決が出ないことには、被告は本当の犯罪人でないのだから留置されることはあっても服役することはないはずだ。
この説に従えば、最高裁では下級裁のどんな誤謬も正されるから、無実の人間の冤罪は起こらないという仮説を信ずることになる。

他方にあるのが、ブラジルに蔓延するimpunidade、つまり本来罰せられるべき犯罪人が裁判ののろさと制度の複雑さを悪用して罰せられずにいる悪弊をなくそうという意図である。
この考え方に沿うと、「推定無罪」原則を逆手に取って逃げる本当の悪人の企みを阻止して、犯罪人の逃げ切りは起きないという仮説に基づくことになる。

これで見るように似たもの二つからどちらを取るかという問題でなく、全く反対の考え方のどちらを選ぶかという問題であって、判決の勢力配分が、判事の票決が全員一致とか、9対1とか(裁判長は同点決戦でない場合には票決に加わらないと思う)で圧倒的であったのなら、後に蒸し返しは起こらないだろうが、直近2回の判決が6対5という僅差なので、近い内に誰かが文句をつけて蒸し返す余地が大きく残っている。

実際に人身保護を連発してどんな被疑者も逃してしまうことで有名なGilmar Mendes最高裁判事は、2016年には二審有罪確定で服役に票を入れたが、2018年には最終確定判決までは服役しない方に寝返っている。
反対に、Carmen Lúcia最高裁判所長官と共に2/11を占める女性判事であるRosa Weber最高裁判事は、「本心は推定無罪の原則に従いたいが、たった2年前の判断をコロコロ変えるようだと最高裁の見識が疑われて司法の信頼性(segurança judiciária)が損なわれるから、後者を尊重したい」と、2016年とは票を変えたので、Gilmar判事と入れ替わって結局投票は2018年と2016年を比較してプラマイゼロ、同じ6対5となったのである。

この非常に根拠の弱い二審有罪確定で服役という規範は、ルラ元大統領弁護団が連邦最高裁の弱点とみなして攻撃してくる可能性が極めて高いと思われて、これからも波乱は絶えないことを予感させている。

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